第77号 捕鳥部万の道標

更新日:2010年03月16日

捕鳥部万

(ととりべのよろずのどうひょう)

 この道標は捕鳥部万とその愛犬の墓所を示したもので、1871(明治4)年正月に建てられました。高さ178センチ、正面幅32センチ、側面幅30センチで、正面に「忠臣捕鳥部萬墓并犬塚是ヨリ三十丁」、左面に和歌一首、右面に「発起」人と「補助」計4人の名前、裏面に建立年月がそれぞれ刻まれています。
 道標は、紀州街道と津田川が交差する地点にかかる岸見橋南端の交差点にあり、ここは紀州街道から岸和田市の阿間河滝(あまがたき)に通じる街道が分岐する地点です。
 捕鳥部万は飛鳥時代に物部守屋大連(もののべのもりやおおむらじ)の警固や雑役などに当たる資人(とねり)をつとめた人物でした。「日本書紀」用明天皇条には、587(用明2)年守屋の死後、捕鳥部万の妻の実家があった芽渟県有真香邑(ちぬのあがたありまかむら:現在の久保を含む津田川中流域一帯と推定される)に逃れ、朝廷軍を相手に大奮戦したことが記されています。
 捕鳥部万とその愛犬の墳墓と伝えられる大山大塚古墳と義犬塚古墳(ともに天神山古墳群)は、岸和田市八田町に現存しています。
(平成19年12月掲載)

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