第69号 海岸寺跡

更新日:2010年03月16日

海岸寺跡

(かいがんじあと)

 1656(明暦2)年、岸和田藩主岡部家初代の宣勝(のぶかつ)が、徳川歴代将軍を供養するために幕府に願い出て許可を受け、半田の海岸寺山に建立した寺院です。
 この寺は天台宗に属し、東京都台東区にある東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)の末寺でした。寺領として150石が寄進され、1万3千坪余りの境内には、弁財天社、井垣(神聖な場所を囲う垣根)、鳥居が設けられていました。本堂内には歴代将軍の位牌が安置され、藩主が参拝に訪れていました。また、門前の在家6軒には苗字帯刀が許されていました。

 徳川幕府の崩壊によって、1869(明治2)年に廃寺となり、その際、本堂は名越の常照寺(じょうしょうじ)に、仏像や位牌は泉南市樽井の南泉寺(なんせんじ)に移されました。そのため、跡地にはいくつかの墓碑を残すのみとなっています。
(平成19年4月掲載)

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