第55号 積善寺城跡

(しゃくぜんじじょうあと)
積善寺は室町時代末期、根来・雑賀衆(ねごろ・さいがしゅう)が近木川沿いに築いた中世城郭の一つです。
もとは和泉国の4長者の1人「郡吉長者(ぐんきちちょうじゃ)」が所有する持仏観音堂を、根来寺が岸和田城の三好氏との合戦の際に砦として築いたものと伝えられています。その後、根来寺の出城として整備され、豊臣秀吉の紀州攻めには35間(約53メートル)四方の本丸に堀をめぐらし、出原右京を大将として総勢約9,500人が立てこもりました。これに対し秀吉は地蔵堂村の丸山古墳に陣を置いたと言われています。
江戸時代に制作された「根来出城配置図」には、小栗(熊野)街道と近木川が交差する地点、江戸時代の橋本村(現在の橋本町)の集落を取り囲む形で堀をめぐらし、ほぼ中央に「観音堂」、四方に「矢倉」の記載があります。
城跡には現在、説明板が建てられています。
(平成18年2月掲載)
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更新日:2010年03月02日