1964年東京オリンピック
1962年(昭和37年)の世界選手権後、世界制覇を成し遂げた大松監督と主力選手たちは世界一を達成したことで引退を表明していました。しかし、女子のバレーボールが正式競技と決定した東京オリンピックまではバレーを続けてほしいという周囲の声が高まり、監督以下選手たちは東京オリンピックまでバレーを続けることを決意しました。
1964年(昭和39年)8月31日、日本バレーボール協会は、東京オリンピックの女子代表となる全日本チームのメンバーを発表しました。
大松博文(監督)、河西昌枝(コーチ兼主将)、宮本恵美子、谷田絹子、半田百合子、松村好子、磯辺サタ、藤本佑子、松村勝美、佐々木節子、篠崎洋子(以上、ニチボー貝塚)、渋木綾乃(ヤシカ)、近藤雅子(倉紡倉敷)
試合風景
そして、同年10月10日、東京オリンピックがいよいよ開幕しました。日本は、11日アメリカ、12日ルーマニア、14日韓国、16日ポーランドを破り、決勝戦へ進みました。決勝戦の相手は宿敵ソ連で、10月23日午後7時37分、駒沢屋内球技場において試合が始まりました。試合は、第1セットのすべり出しにリードを許したものの、第2セットからは手元で微妙に揺れる変化球サーブと得意の回転レシーブを武器に順調に2セットを連取しました。第3セットも全日本が試合を優位に進めましたが、14対9のマッチポイントからソ連の粘りが続きました。しかし、最後はソ連のオーバーネットによる反則でストレート勝ち(15対11、15対8、15対13)し、念願の金メダルを獲得したのでした。
表彰式
金メダル(丸山(旧姓磯辺)サタ氏所蔵)
優勝歓迎会
優勝祝賀会
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更新日:2020年05月19日