日紡貝塚チームの誕生

更新日:2019年05月20日

1955(昭和30)年の第8回全日本実業団バレーボール大会での優勝

1955年(昭和30年)第8回全日本実業団バレーボール大会(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)

1955(昭和30)年の第8回全日本実業団バレーボール大会での優勝

1955年(昭和30年)第8回全日本実業団バレーボール大会(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)

1955(昭和30)年の第4回全日本バレーボール総合女子選手権大会での優勝

1955年(昭和30年)第4回全日本バレーボール総合女子選手権大会(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)

1953年(昭和28年)11月27日、大日本紡績株式会社貝塚工場に日紡代表女子バレーボールチームを編成することが決定し、のちに「東洋の魔女」とよばれる選手たちを育てた大松博文氏が監督に就任しました。大松氏の「2年で日本一のチームを」という思いをもとに、1954年(同29年)3月15日、貝塚工場に女子バレーボールチーム(通称「日紡貝塚」)が発足しました。しかし、結成当時のチームは新卒生を中心にしたチームで、負けては猛練習、負けては猛練習の連続で、小さな大会では活躍しましたが、全国的な大会では8位に入るのがやっとの実力でした。

しかし、1955年(昭和30年)に入ると、日々の猛練習の成果がしだいに見えはじめ、チーム発足後約1年余りで、全日本9人制バレーボール実業団女子選手権大会で初優勝を遂げました。同年には、全日本バレーボール女子9人制総合選手権大会、国民体育大会でも優勝し、国内の3つのタイトルを獲得しました。

日紡貝塚四大タイトル獲得記念旗

日紡貝塚四大タイトル獲得記念旗(ユニチカ株式会社所蔵)

さらに、1958年(昭和33年)には、当時の4大タイトルと呼ばれた全日本都市対抗バレーボール優勝大会、全日本バレーボール女子総合選手権大会、全日本9人制バレーボール実業団女子選手権大会、国民体育大会の全ての大会で優勝をおさめ、それ以前にはどのチームも獲得したことがなかった5つの覇権(女子総合選手権大会は6人制、9人制の両方で優勝したため)をにぎりました。

屋外コートでのサーブ練習

屋外コートでのサーブ練習(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)

旧体育館での練習風景

旧体育館での練習風景(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)

旧体育館での練習風景

旧体育館での練習風景(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)

チーム結成5年目にして国内大会を制覇した大松監督は、今や国内にはとるべきタイトルは何もないと考え、その目は海外へむかいました。しかし、世界へ出ていくにはひとつの大きな問題がありました。それは、6人制と9人制の問題でした。当時の日本は9人制が圧倒的でしたが、世界的にはほとんどの国が6人制のバレーを採用していました。そのため、日紡貝塚はこれまでの9人制を6人制に切りかえ、1960年(昭和35年)にブラジルで開催される第3回世界バレーボール選手権大会を新しい目標にさらなる猛練習を続けました。

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