日紡貝塚以前のバレーボール
12人制バレーボール 1923年(大正13年)の第6回極東選手権大会(ユニチカ株式会社所蔵パネルより)
昭和初期の日紡バレーボールチームとバスケットバールチーム(足利工場にて)(写真提供ユニチカ記念館)
バレーボールは、女性や子供が気軽に楽しめるレクリエーションとして1895年(明治28年)にアメリカで考案されました。日本に紹介されたのは、その18年後の1913年(大正2年)です。当時はまだしっかりとしたルールが出来上がっていなかったので、日本独自のルールで競技がおこなわれていました。1チームの人数も最初は16人、続いて12人に変わり、その後9人となり、現在の9人制バレーボールに近いものができあがりました。
大日本紡績株式会社(以下、日紡)におけるバレーボールは、1923年(大正12年)、職場リフレッシュ・スポーツとして導入されました。女子チームが対外的に名を挙げたのは、清水節二監督のひきいる尼崎工場チームが1937年(昭和12年)から3年間にわたり全日本女子総合選手権大会で連続優勝したことです。第二次世界大戦後には、足利工場チームが頭角をあらわし、1951年(昭和26年)から3年間にわたり全日本実業団バレーボール大会で連続優勝しました。
注意:大日本紡績株式会社:1918年(大正7年)、有限責任尼崎紡績会社と摂津紡績株式会社が合併し誕生した紡績会社
- この記事に関するお問い合わせ先
-
教育部 文化財保存活用室
電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階
更新日:2019年05月20日