大日本紡績株式会社貝塚工場の新設

更新日:2019年05月20日

摂津紡績株式会社貝塚工場建設予定地図

摂津紡績株式会社貝塚工場建設予定図

大日本紡績株式会社貝塚工場全景

大日本紡績株式会社貝塚工場全景(写真提供ユニチカ記念館

大日本紡績株式会社への合併以前の1916年(大正5年)、摂津紡績株式会社は工場建設予定地として大阪府泉南郡北近義村大字脇浜(現在の貝塚市脇浜)に5万坪余りの用地を買い入れていました。1918年(大正7年)ごろには常駐職員も配置され、社宅などの建設も始まっていたことが当時の記録から明らかになっていますが、摂津紡績株式会社の時代には本格的な工場建設はおこなわれませんでした。

摂津紡績株式会社貝塚工場の建設予定地は、1918年(大正7年)の合併にともない大日本紡績株式会社に引き継がれ、工場建設計画が進められました。しかし、その後計画は一時中断し、1933年(昭和8年)になって、阪和電鉄沿線(現在のJR阪和線)の貝塚町半田(現在の貝塚市半田)の土地4万9千坪余りとの交換がなされ、新たにこの土地で貝塚工場の建設が決定しました。工場建設にあたっては建設費約391万円のうち24万円余りを貝塚町が負担しました(当時の貝塚町の一般会計歳出の約40%)。そして、1935年(昭和10年)2月、第一工場が竣工、続いて1936年(同11年)4月、第二工場が竣工し、貝塚工場は操業を開始しました。

注意:大正時代初期の貝塚市は、貝塚町、麻生郷村、島村、北近義村、南近義村、木島村、西葛城村の7町村にわかれていました。その後、1931年(昭和6年)に木島村、西葛城村をのぞく5町村が合併して貝塚町となりました。

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