せんごくの杜について
せんごくの杜は
防災と交流、里山保全、教育と福祉、産業と流通、の4つのエリアから構成された貝塚市の大きな資産です。
千石堀城址の歴史資産も含まれ、豊かな里山と景観が広がっています。
土地の利活用を行なう上で「優れた自然環境の保全と併せて、市民生活の利便性や地域活性化などに資する有効な土地利用」を目標としています。

せんごくの杜の場所について
大阪府貝塚市名越ほか
- 関西空港から車で約25分
- 阪神高速4号湾岸線と阪和自動車道の「貝塚インター」から車で約10分
- JR阪和線「和泉橋本駅」、水間鉄道「名越駅」から徒歩約15分
せんごくの杜の経緯について
せんごくの杜は、貝塚市が平成23年9月大阪市より千石荘病院等跡地(面積48ヘクタール、公簿面積約37ヘクタール)を購入した土地です。
少しずつ年月をかけて整備を進めてきました。
整備の流れは下の表の通りです。
地区 | 面積 | 年 | 整備内容等 | 備考 |
全エリア | 約48ヘクタール | 平成23年9月 |
大阪市より千石荘病院等跡地 |
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教育・福祉エリア | 約11.1ヘクタール | 平成28年8月 | 障害者就労支援施設「イタリアンレストラン」「乗馬クラブ」「厩舎」完成 | |
平成30年11月 | 重度障害者支援施設「厩舎」増築 | |||
防災・交流エリア | 約9.4ヘクタール | 平成29年3月 | 防災広場(自衛隊による部外工事)完成 | 災害時利用 |
平成30年3月 | ドローンフィールド供用 | 平時利用 | ||
令和2年10月 | クリケットフィールド供用 | 平時利用 | ||
里山保全エリア | 約18.2ヘクタール | 平成29年9月 | ボランティア組織「せんごくの杜~さくらの里~」と里山再生に係る協定締結 | |
令和2年3月 | 里山交流センター完成 | |||
産業・流通エリア | 約9.3ヘクタール | 平成31年2月 | 開発事業者(株式会社PALTAC)と土地の売買契約 | 令和7年度操業予定 |
せんごくの杜の歴史
せんごくの杜の、里山保全エリアには「千石堀城」が安土桃山時代に築城されていました。
豊臣秀吉が1585年、紀州攻めを開始し泉州地域へ出陣しました。当時「千石堀城」は紀州の根来衆の拠点でありました為、豊臣秀次を大将として約3万の軍勢で攻撃しました。根来衆は約一千の兵力で抵抗しましたが、1585(天正13)年わずか一日で落城したと伝えられています。
1940年、産業・流通エリアには大阪市所管の「結核療養所」が開設され、その後1947年に旧厚生省所管の「国立療養所千石荘病院」が開設し、大阪府南部における結核医療の拠点として結核患者の治療にあたってきましたが、2003年に国立病院・療養所の再編成により大阪医療センターに統合されました。
ピクニックセンターエリア(現在の防災・交流エリア)では「大阪市貝塚ピクニックセンター」が2003年に閉鎖、また2006年には「大阪市郊外保育所」が閉鎖しました。
福祉・教育エリアでは「少年保養所」が1994年まで、「貝塚養護学校」が2009年3月まで運営されていました。
その後整備された教育・福祉エリアに2019年9月1日「イタリアンレストラン森の小径」と「ハーモニーファーム野のはな」がオープンし、にぎわいを見せています。
里山保全エリアには2020年「里山交流センター」が設立され、市民の方々の里山保全活動に関する活動拠点となっています。
2017年3月、かつてのピクニックセンターエリアが「防災運動広場」として整備され「防災・交流エリア」に変わりました。
2018年3月には、防災・交流エリアが平時にも活用できる「貝塚市立ドローンフィールド」として整備されました。
2020年10月、「貝塚市立ドローンフィールド」を「クリケット」の本格的フィールドとして整備し「貝塚市立ドローン・クリケットフィールド」に名称変更となりました。
この様に、せんごくの杜ではエリア毎に年月をかけて整備が続けられています。