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更新日:2025年09月30日

水間鉄道開通100周年 水間鉄道開通までのあゆみ その3

水間鉄道開通までのあゆみ その2

開通当初の始発駅 貝塚南駅

開通当初の始発駅 貝塚南駅 『貝塚百年のかおり』より

その後、11月に発起人集会が開催され資本金額等も決定しましたが、株の引き受けがうまく進まず、さらに岸和田の寺田利吉が発起人を辞退したため、計画自体が頓挫することになりました。

以降数年間の動きは不明ですが、1923年(大正12年)5月、当時の貝塚町を中心に、後に貝塚市となる町村の人びとによって会社の前身である水間蒸気鉄道株式会社が設立され、鉄道敷設の免許申請書が鉄道大臣に提出されました。同年8月8日、地元出身の国会議員らの助力もあってすぐに免許がおり、株式の募集に着手しました。翌1924年(大正13年)4月17日、創立総会が開催され、正式な社名が水間鉄道株式会社に決定しました。さらに翌1925年(大正14年)12月14日、まず貝塚南-名越間の3kmが竣工、開通しました。そして、年が明けて1926年(大正15年)1月30日、残りの名越-水間(現在の水間観音)間の2.5kmが竣工、全線5.5kmが開通しました。

水間鉄道は、水間寺の参詣鉄道として当初7駅で営業を開始しました(表紙の絵図を参照)。その後貝塚駅での旅客取り扱いの開始(当初貨物のみ)や、何度かの駅の廃止・新設を経て、現在は貝塚-水間観音間10駅で営業し、水間寺の参詣だけでなく沿線住民の足としてなくてはならない存在となっています。今回、地元の先人たちが尽力した鉄道開通までのあゆみの一部を紹介しましたが、開通100周年を迎えるこの機会に、先人たちの思いに寄り添いながら、皆さまも片道約15分の旅に出かけてはいかがでしょうか。

姉妹都市カルバーシティ市訪問団の市内観光を案内しました

水間寺境内の案内を聞く訪問団のみなさん

水間寺境内の案内を聞く訪問団のみなさん

貝塚市とカルバーシティ市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)は、「東洋の魔女」として知られる女子バレーボールチーム「ニチボー貝塚」のアメリカ訪問をきっかけとして、1965年(昭和40年)に姉妹都市提携を結び、今年で60年を迎える中、さまざまな交流を続けています。

令和7年8月1日(金曜日)から10日(日曜日)までの10日間、青少年国際交流事業の一環として、カルバーシティ市から高校生4名と随行者2名が本市を訪れました。期間中の8月4日(月曜日)には市内観光を行い、文化財保存活用室では水間寺周辺の案内を担当しました。当日は滞在中のホームステイ先の高校生たちも参加し、水間観音駅から水間街道を歩き、水間寺の境内を散策しました。街道では道沿いに設置されている十六童子像を探しながら歩き、水間寺ではお寺の協力もあり本堂内でのお参りや宝物コーナーの見学もさせていただきました。 酷暑の中でしたが、本市を代表する寺院の一つである水間寺周辺を訪れることで、本市ならではの文化や日本文化の魅力を体感するひとときになったのではないかと思います。

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

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