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【発見された資料2】江戸時代の棟札(むなふだ)

更新日:2020年06月01日

令和2年4月以降、現地での工事作業はしばらく中断し、工事業者の作業場で屋根瓦の焼成などが行われています。また並行して、屋根から降ろされた屋根瓦の調査や建物の耐震診断が進められています。

本ページでは、今回の保存修理工事に際して発見された、江戸時代、安永4年(1775年)の銘文(めいぶん)が墨(すみ)書きされた棟札を紹介します。

棟札は、建物の棟上(むねあ)げの際に、工事が行われたいきさつ、年月日、建築者や大工の名前等を書き上げて棟木に張りつける木製の札です。

今回発見された棟札は、観音堂の棟木から発見されたものではなく、過去の修理の際に取り外され別保管されてきたものです。


 

安永4年の修理の際に作られた棟札の表面の写真

安永4年の修理の際に作られた棟札の表面

中央には、梵字(ぼんじ)の下に、「一切皆善宿皆賢諸仏皆威徳/羅漢皆断漏以斯誠実言願我常吉祥」と『仏母大孔雀明王経』(ぶつもだいくじゃくみょうおうきょう)という仏教の経典の一節が書かれています。
孔雀明王は、さまざまな災いを取りのぞいてくれる明王として信仰されてきたことから、建物が火災等にあわないようにという願いを込めて、この一節が書かれたものだと思われます。

その右側には「当精舎者(しょうじゃは)神亀二年行基菩薩草創」、左側には「安永四乙未(きのとひつじ)年及大破修覆之(大破に及びこれを修覆す) 深谷山観音寺(しんこくざんかんのんじ)と書かれています。
深谷山観音寺は神亀2年(725年)に行基(ぎょうき)が草創した寺院で、安永4年に大破し修復する、という意味です。

注意:創建時の棟札といわれている重要文化財 板地著色天部像(孝恩寺蔵)の裏面には神亀3年の墨書きがあります。

その下部には、大工たちの名前と、「泉州南郡修造願主」として「木積(こつみ)村中」とあります。
大工は、「大工棟梁岸和田百姓町河岸伊兵衛藤原輝次」以下、「平右衛門」「源右衛門」「利兵衛」「吉兵衛」「清兵衛」「伝兵衛」「新蔵」「辰次郎」「万吉」の10名の名前が書かれています。

安永4年の修理の際に作られた棟札の裏面の写真

安永4年の修理の際に作られた棟札の裏面

中央には、梵字の下に、「南無堅牢地神(けんろうじしん)諸眷属(しょけんぞく)/南無五帝龍(ごていりゅう)諸侍(しょじ)等」と書かれています。
堅牢地神は大地の神、五帝龍は水の神の名前で、諸眷属と諸侍はそれぞれにつき随う神々を指しています。
建物が建つ土地が永く繁栄し、火災等にあわないようにという願いを込めて、これらの神の名前が書かれたものだと思われます。

その下部には、一番右側に「慈眼山孝恩寺十世鏡誉代」と当時の孝恩寺の住職の名前が書かれています。
次に、「棟上安永四乙未年十月十五日」と棟上げをした年月日が書かれています。
続いて、「庄屋南川勘兵衛」以下、「年寄 治左衛門」「喜右衛門」「茂兵衛」「九郎兵衛」「世話人武兵衛」と、木積村の庄屋(しょうや)、年寄(としより)、世話人、合計6名の名前が書かれています。

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