現在の位置

【孝恩寺観音堂の屋根瓦1】平安時代後期の屋根瓦

更新日:2021年06月18日

文化財建造物の保存修理では、古い瓦はできるだけ残すという考え方で屋根瓦の葺替が行われます。今回の観音堂の葺替でも、古い瓦を再度利用するための調査として、研究者による瓦の年代と員数調査が行われました。

調査では、総数15,553枚のうち、4,384枚ある丸瓦と8,523枚ある平瓦を中心に、規格や凹凸面等の調整技法の変化から瓦の製作年代が検討されました。結果、平安時代後期11世紀後半から大正時代まで、【発見された資料1】室町時代の文字瓦のページで紹介している室町時代後期の大永7年(1527年)の瓦を含め、様々な時代の瓦が葺かれていることが明らかになりました。

本ページでは、今回の保存修理工事に際して、観音堂の屋根から降ろされた様々な時代の屋根瓦の中から、最も古い平安時代後期の屋根瓦とその特徴を紹介します。瓦の特徴としては、軒先に葺かれる軒丸瓦(のきまるがわら)と軒平瓦(のきひらがわら)は先端の瓦当(がとう)部分に施される文様を、屋根の各面全体に葺かれる丸瓦と平瓦は表面に見られる当時の瓦職人が瓦を成形する際に施した調整の痕跡(こんせき)について解説しています。

平安時代後期の瓦は、11世紀後半12世紀初頭のものが確認されました。

平安時代後期 11世紀後半の瓦

11世紀後半の瓦は、セット関係になると考えられている軒丸瓦軒平瓦平瓦が残っており、これらは現在の観音堂の前身となるお堂の屋根瓦である可能性が考えられるものです。

軒丸瓦は、今回屋根から降ろされたものではなく別に保管されてきたもので、瓦当部分のみが残っています。瓦当部分には、観音菩薩(かんのんぼさつ)を表す「サ」の梵字(ぼんじ)文様が施されています。

軒平瓦は、瓦当部分に中心が少しずれた唐草(からくさ)文様が施されています。

平瓦は、表面の特徴として、凸面全体には縄で叩き締めた痕跡である縦方向の「縄叩き痕(なわたたきこん)」が、凹面には瓦を成形する台と瓦になる粘土板(ねんどばん)が付着しないように間に敷く布の痕跡「布目痕(ぬのめこん)」が残っています。

孝恩寺観音堂 梵字文軒丸瓦 平安時代後期11世紀後半の写真

孝恩寺観音堂 梵字文軒丸瓦 平安時代後期11世紀後半

孝恩寺観音堂 唐草文軒平瓦 平安時代後期11世紀後半の写真

孝恩寺観音堂 唐草文軒平瓦 平安時代後期11世紀後半

平安時代11世紀後半の平瓦の凸面に残る縄叩き痕の写真

平安時代11世紀後半の平瓦の凸面に残る縄叩き痕

平安時代11世紀後半の平瓦の凹面に残る布目痕の写真

平安時代11世紀後半の平瓦の凹面に残る布目痕

平安時代後期 12世紀初頭の瓦

12世紀初頭の瓦は、セット関係になると考えられている軒平瓦丸瓦平瓦が残っており、これらの瓦も現在の観音堂の前身となるお堂の屋根瓦である可能性が考えられるものです。

軒平瓦は、瓦当部分に唐草文様が施されていますが、後世の修理時に瓦当部分の下半分(顎部/あごぶ)が割られて平瓦に転用されていました。

丸瓦は、上端が細く下端に向かって末広がりになる形状の行基式(ぎょうきしき)丸瓦です。表面の特徴として、凸面全体に丁寧なヨコナデを施しています。

平瓦は、表面の特徴として、全体に斜め向きの「縄叩き痕」、凹凸面には布の代わりに瓦を成形する台と瓦となる粘土板の間にまかれた砂の痕跡である粗い「離れ砂(はなれずな)」と、瓦となる粘土板を粘土の塊(かたまり)から糸で切り出した際に出来た痕跡である幅の広い「糸切り痕(いときりこん)」が残っています。

孝恩寺観音堂 唐草文軒平瓦 平安時代後期12世紀初頭の写真

孝恩寺観音堂 唐草文軒平瓦 平安時代後期12世紀初頭

孝恩寺観音堂 丸瓦 平安時代後期12世紀初頭の写真

孝恩寺観音堂 丸瓦 平安時代後期12世紀初頭

平安時代12世紀初頭の平瓦の表面に残る離れ砂の写真

平安時代12世紀初頭の平瓦の表面に残る離れ砂

注意 全体に見える粗い砂の粒が離れ砂です

平安時代12世紀初頭の平瓦の凸面に残る糸切り痕の写真

平安時代12世紀初頭の平瓦の凸面に残る縄叩き痕と糸切り痕

注意 上から右下に向かう筋が糸切り痕です

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ