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更新日:2025年02月21日

貝塚市・泉南市・熊取町 日本遺産「葛城修験(かつらぎしゅげん)」追加認定合同報告会を開催しました

講演会終盤で会場からの質問に答える膾谷氏

会場からの質問に答える膾谷氏

令和6年10月26日(土曜日)に、本市役所6階福祉センター多目的ホールで3市町合同の日本遺産「葛城修験」追加認定合同報告会を開催しました。
報告会では、葛城修験神道  鉄火山道場宮司(ぐうじ)である膾谷健眞(なますやけんしん)氏より「日本遺産『葛城修験』追加認定の意義」と題した記念講演をいただきました。膾谷氏は、

  1. 葛城修験こそ日本の山岳修験が修験道たる形として成立した修験道はじまりの地であること、
  2. 蕎原とちのき谷は、これまで明らかでなかった第九宿「嶺の龍王」の修行の場であったこと、
  3. 谷の入り口に立つ「聖護院御用拝所(しょうごいんごようはいしょ) 佛忩山不動明王(ぶっそうざんふどうみょうおう)」と刻まれた道標は、聖護院最後の宮門跡(みやもんぜき/皇族の門跡)である雄仁法親王(ゆうにんほっしんのう)が葛城に入峰(にゅうぶ)された際に建てられたと考えられること、
  4. 熊取町の「降井(ふるい)家住宅」は聖護院門跡の葛城入峰休憩所として重要であること、
  5. 金熊寺(きんゆうじ)と信達(しんだち)神社は古くは「金熊大権現」であり、権現思想の始まりと考えていることなど、

今回の追加認定の重要性を説明いただきました。次に3市町の担当者から、追加認定を受けた文化財と、関係する文化財について写真を投影しながら紹介し、最後に会場からいただいた葛城修験に関する質問について、膾谷氏から詳しくお答えいただきました。

報告会には77名のご参加をいただき、大変充実した報告会となりました。

小学校巡回展示「秀吉の紀州攻めと近木川沿いの城」

毎年恒例となった小学校巡回展示は、今年度9月5日(木曜日)から11月20日(水曜日)まで、二色学園を含む全11校で、「秀吉の紀州攻めと近木川沿いの城」を開催しました。

「秀吉の紀州攻め」は天正13年(1585年)3月から4月に起こった、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と彼に対立していた根来寺(ねごろじ)や雑賀(さいか)の人びと、紀南の湯河(ゆかわ)氏・玉置(たまき)氏を含め紀伊国(紀州ともいう、今の和歌山県)の諸勢力との戦いをいいます。市内を流れる近木川沿いに暮らしていた人びとと、根来寺や雑賀の人びとが、その最前線となる近木川沿いの城に立てこもり、秀吉軍と戦いました。

巡回展示では、北側から攻め込む秀吉軍に対し、千石堀城や高井城に立てこもる根来寺などの人びととの位置関係、土地の高さや川が削る谷のようすがわかるようにジオラマで再現しました。

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