現在の位置

2ページ

更新日:2021年02月26日

国宝 孝恩寺観音堂の歴史と特長

本市木積(こつみ)にある国宝孝恩寺観音堂(通称釘無堂(くぎなしどう))は、令和元年9月から令和4年7月までの予定で、現在保存修理事業が進められています。今年度の現地での工事作業は、前号で紹介したとおり、しばらく中断していましたが、令和3年1月中旬より修理工事が再開されています。今号では、貝塚市唯一の国宝である孝恩寺観音堂の歴史とその建造物としての特長について紹介します。

木積観音寺と孝恩寺観音堂

孝恩寺_重要文化財 板絵着色天部像の写真

重要文化財 板絵着色天部像 孝恩寺蔵

背面に「神亀三年」の年号や「行基」という墨書(ぼくしょ)が残っています。

木積の地名については、奈良時代の僧行基(ぎょうき)が畿内(きない)に四十九院を建築する際に、木島郷(きのしまごう)の杣山(そまやま)から木材を伐採した集積地であることに由来するとされています。その行基が、神亀3(726)年に木積の地に建立したとされる寺院が深谷山観音寺で、その境内に建立されたのが観音堂です。観音寺は、中世の戦乱や天正13(1585)年の羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めで兵火にかかり荒廃し、江戸時代には、観音堂と仏像のみが残りました。観音寺は明治22(1889)年に廃寺(はいじ)となりますが、観音堂は明治36(1903)年に古社寺保存法により特別保護建造物に指定された後、大正3(1914)年に浄土宗寺院孝恩寺に合併され、昭和4(1929)年に国宝保存法の制定により(旧)国宝となりました。戦後、文化財保護法の制定にともない昭和28(1953)年に改めて(新)国宝に指定され、現在は孝恩寺の本堂となっており、収蔵庫に安置されている重要文化財の仏像および板絵(右写真)とともに保存されています。

孝恩寺観音堂の歴史

孝恩寺観音堂 軒丸瓦の写真

観音堂に葺かれていた平安時代の軒丸瓦

(中央に観音菩薩の梵字「サ」が入ります)

孝恩寺観音堂の建築年代を明確にする史料は存在しませんが、様式上から鎌倉時代後期の建築とされています。その後の変遷については、今回の保存修理でも確認された大永7(1527)年銘の屋根瓦と安永4(1775)年の棟札(ともにテンプス71号で紹介)からは室町時代末期と江戸時代中期に修理が、また大正5(1916)年に解体修理が行われたことが知られるだけです。しかし、今回の保存修理にともなう屋根瓦の詳細調査により、屋根に葺かれている約15,500枚の瓦のうち、平安時代後期の瓦(右写真)が複数枚確認できたことから、観音寺および観音堂の歴史は、少なくともその時代まではさかのぼることができると考えられます。
 

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ