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更新日:2020年06月01日

国宝孝恩寺観音堂 令和の大修理 その1

令和元年9月に着手された国宝孝恩寺観音堂保存修理事業は、令和4年1月の完了予定に向けて作業が着々と進められています。前号での概要の説明に引き続き、今後修理の進捗状況についてお伝えするとともに、調査により明らかになった事柄を紹介していきます。

まず、着手から2カ月程度は、観音堂の設計図面作成や工事業者の選定が進められ、その後、修理工事を進めるに当たって、樹木の仮移植、観音堂内部の仏像・仏具の移動などが年内に実施されました。

令和2年に入ると、観音堂の周囲に足場が設けられ、素屋根(すやね)が掛けられました【写真1・表紙ページ写真】。雨風がしのげるようになると、外陣(げじん)の床板撤去や瓦の取り外しが進められました。今回が大正5年(1916年)の大修理以来約100年振りとなる、令和の大修理とあって、傷んだ瓦は新しいものに取り替えますが、古くても再利用できる瓦は、コケや土をきれいに洗い落とし【写真2】、新しく焼かれる瓦とともに葺き直される予定です。

観音堂に設けられた足場と素屋根の骨組みの写真

写真1 観音堂に設けられた足場と素屋根の骨組み(令和2年1月21日撮影)

瓦にこびりついたコケや汚れをきれいに取り除く作業の写真

写真2 瓦にこびりついたコケや汚れをきれいに取り除く作業(令和2年3月23日撮影)

瓦を取り外した後、瓦の下に敷かれた野地板(のじいた)をめくっていくと、その下から垂木(たるき)が顔をのぞかせました【写真3】。あわせて壁も取り除き、柱などの骨組みが露わになってきました。

屋根瓦の下にある野地板とそれをめくると現れた垂木の写真

写真3 屋根瓦の下にある野地板とそれをめくると現れた垂木(令和2年3月16日撮影)

調査の過程で、「大永七三月十六ち さかい」と刻まれた約500年前、室町時代、大永7年(1527年)3月16日の日付が入った丸瓦【表紙ページ写真】が確認されています。また、江戸時代中期、安永4年(1775年)に行われた修理の際、作成された棟札(むなふだ)【表紙ページ写真】も確認されました。安永の修理は「大工棟梁(とうりょう)岸和田百姓町河岸伊兵衛」の手によるもので、庄屋・年寄らの名前や「木積村中」の文字も見られることから、木積村の人々の寄進(きしん)によって、観音堂の修理が進められたことがわかっています。

保存修理事業の進捗状況については、市役所本庁舎ロビーで定期的に内容を更新して紹介しています。お近くへお越しの際は、ご覧ください。

この記事に関するお問い合わせ先

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