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松浦守(まつら まもる)と貝塚
松浦氏の中で、最も貝塚市と関係が深いのは、文亀元年(1501年)頃から天文年間(1532年から55年)にかけて和泉国の守護代を務めた松浦守です。
守は、江戸時代の地誌によると、木積(こつみ)の蛇谷(じゃたに)城【表紙写真】の城主と伝えられています。蛇谷城は、木積の畑地区に隣接する蛇谷山の山頂に築かれた中世城郭でした。この城がある蛇谷山のふもとに位置する道陸(どうろく)神社【表紙写真】は足の神様として有名ですが、この神社はかつて蛇谷城の城内に祀られていたもので、城の兵士が湧き出る清水によって足の傷を治したことから、足の神様「どうろくさま」として信仰されるようになったといわれています。
また、守は蛇谷城以外にも秬谷に野田山城を築いており、記録では天文4年(1535年)の築城とされています。野田山城は、後に紀伊国の根来寺勢が奪い取り根福寺(こんぷくじ)城【下絵図】と改めた和泉国最大の山城です。野田山城のふもとには大川の集落があり、集落の奥に位置する菅原神社【表紙写真】は守が築いたものと伝えられ、集落の入口にある共同墓地に建てられた五輪塔を浮き彫りにした墓碑は「殿の墓」【表紙写真】とよばれ、城主である守の墓とされています。
松浦氏についてはまだまだ不明な点が多くありますが、築いた史跡やその伝承が残っていることは、その存在が大きかったことを物語っています。

紙本著色 根福寺城絵図 岸和田市教育委員会蔵
企画展「楠木正成と中世貝塚の武士たち」
楠木正成と、貝塚市域で活躍した中世の武士たちに関する資料を展示します。
会期
平成31年3月9日の土曜日から4月21日の日曜日
会場
貝塚市郷土資料展示室(貝塚市民図書館2階)
観覧
無料
休室日
毎火曜日、3月21日の木曜日、4月3日の水曜日

紙本著色 楠木正成像 妙順寺蔵
更新日:2019年02月01日