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10.呉猛(ごもう)
呉猛は、8歳にして孝行の心がある人でした。家は貧しく、何事もうまくいかない生活を送っていました。そのため、夏になっても蚊帳(かや)もないほどでした。そこで呉猛は、「自分の着物をぬいで親に着せ、みずからは裸になって蚊に刺されたならば、蚊も自分だけを刺すようになり、親は助かるだろう」と思いました。彫刻は、毎晩裸になって、自分を蚊に刺させて、親の方へ蚊がいかないようにしていた、という場面です。

11.黄香(おうきょう)
黄香は安陵(あんりょう)というところに住んでいた人でした。9歳の時に母親を亡くし、残された父親によく仕えました。彫刻は、夏のとても暑い時に、父親の枕や座(今でいうベッド)を扇子であおいで涼しくしている場面です。また、冬のとても寒い時には、父の衾(ふすま、布団のこと)が冷たいことを悲しんで、自分の体でそれを温めました。その土地の太守(たいしゅ)は、このように孝行であると高札を立てて彼の孝行をほめたところ、人はみな黄香こそ孝行第一の人であると知ったといいます。

12.張孝(ちょうこう)、張礼(ちょうれい)/孟宗(もうそう)
【張孝、張礼】張孝と張礼は兄弟で、飢饉の時に80歳を過ぎた母親を養っていました。弟の張礼が木の実を拾いに行ったところ、盗賊がやって来て、お前を殺して食べてやると言いました。張礼は「私には年老いた母がいます。今日はまだ食事をしていないので、少しだけ時間を下さい。母に食事をさせればすぐに戻って来ます。もしこの約束を破れば、家に来て一族までも殺してください」と言って家に帰りました。母親に食事をとらせて、約束通り盗賊のところに戻りました。彫刻は、これを聞いた兄の張孝が、あとから盗賊のところへ行き、「私は張礼より太っているので、食べるにはいいだろう。私を殺して、弟を助けてくれ」と言っている場面です。また張礼は「私が食べられるのが最初の約束です」と言って、死を争ったので、盗賊は兄弟の孝行の心を感じて二人の命を助けて、このような兄弟は滅多にいないと米と塩までも与えました。兄弟はそれらを持ち帰り、ますます孝行を尽くしたといいます。
【孟宗】孟宗は、幼い時に父親を亡くし、一人の母親を養っていました。年老いて病気がちな母親は、食事のたびに不都合なものを欲しがり、ある冬にはタケノコを食べたいと言いました。そして孟宗は竹林に行きタケノコを探しましたが、雪も深く、手に入るはずがありませんでした。天にあわれみを乞い、祈りながら大いに悲しみ、竹に寄りかかっていたところ、にわかに大地がひらけて、タケノコが生え出てきました。彫刻は、出てきたタケノコを掘っている場面です。大変喜んでタケノコを取って帰り、汁物を作り母親に与えると、これを食べた母はそのまま病気も治り、長生きをしたといいます。
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更新日:2013年11月07日