現在の位置

6ページ

更新日:2020年05月28日

古絵図をひも解く

要家文書「河摂泉絵図」の写真

 要家文書「河摂泉絵図」1765ミリメートル×730ミリメートル

◆河摂泉(かせっせん)絵図

 この絵図は作成時期についてはっきりしませんが、絵図の記載で大和川の付け替え以後であること、大坂の新田に天保山が描かれていないことなどから、18世紀初めから19世紀前半の間に作成されたものと考えられます。一般に摂津・河内・和泉の3国を指して「摂河泉」と言いますが、この絵図の表題には「河摂泉絵図」と書かれています。3国のうち、摂津は全て描かれている訳ではなく、西は尼崎、箕面の勝尾寺まで、いわゆる北摂のみが記載され、現在の大阪府と範囲がほぼ重なっています(ただし、池田市・豊能町・能勢町は見られません)。絵図の特徴として、1:郡境に黒い線を引き、郡の名前は黒地に赤文字で記される。2:町は四角く囲み桃色に塗られる。3:村は小判型の中に書かれていて、摂津国は黄緑色・河内国は赤色・和泉国は白色に塗り分けられている。4:街道は赤い線で、河川は青色で、山並みは緑色で描く。5:大きな寺社はその建物を描く。といった点が挙げられます。彩色豊かな絵図です。

泉州、とくに現在の貝塚市周辺の絵図記載に注目すると、絵図の折り目で見づらいものの、浜側に「貝塚町」が桃色で塗られ、紀州街道が左右に貫いています。山側には熊野街道、浜手と山手を結ぶ水間街道などが赤い線で、南郡と日根郡の境が黒い線で描かれています。津田川・近木川・見出川の三つの川の流れが青く塗られています。寺社では半田に徳川将軍家を祀った海岸寺、水間に水間寺、葛城山に「葛城龍王」(=高龗(たかおかみ)神社)が描かれています。このような彩色絵図が七人庄屋をつとめた要源太夫家にのこされた理由ははっきりしませんが、江戸時代に村々が連合し幕府へ訴え出た国訴(こくそ)をおこなう際、村々の伝達を円滑におこなうため用いられた可能性もうかがえる貴重な絵図です。

貝塚市周辺を拡大した部分図の写真

貝塚市周辺を拡大した部分図

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ