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更新日:2020年05月28日

国宝孝恩寺観音堂と重要文化財の仏像群

孝恩寺観音堂(釘無堂)外観の写真

孝恩寺観音堂(釘無堂)

柱の痕跡のある飛石の写真

柱の痕跡のある飛石

貝塚市木積(こつみ)にある孝恩寺観音堂は、別名「釘無堂」(くぎなしどう)として知られる鎌倉時代後期に再建された建造物です。大阪府下で最古の部類の木造建築物として、1903年(明治36年)4月15日付で国宝として指定を受けています。5間(けん=約9メートル)四方の四柱造(しちゅうづくり)で、屋根瓦は行基葺(ぎょうきぶき)とし、堂の周囲には濡れ縁(ぬれえん)がめぐっています。全体的には伝統的な和様を基調とした建築様式ですが、随所に禅宗様(ぜんしゅうよう、鎌倉時代に輸入された中国北宋の建築様式)という技法が取り入れられています。

この観音堂は、もとは奈良時代の僧行基(ぎょうき)によって建立された観音寺という寺院の観音堂で、現在は孝恩寺の本堂となっています。観音寺は、七堂伽藍(がらん)をそなえた大きな寺院で、一説では木積の集落一帯が寺域であったのではないかともいわれています。境内に配置されている飛石の中には礎石を転用したものがあり、直径30センチメートルの柱の痕跡が残るものもあることから、多数の建物が存在していたことが想像されます。

観音堂には、平安時代の制作で地方色豊かな19躯(く)の仏像が安置されており、うち18躯が重要文化財に指定されています。現在これらの仏像群は、同じく平安時代に制作された重要文化財板絵天部像1枚とともに境内にある専用の収蔵庫(表紙参照)で保存されています。テンプスでは、本号より不定期ではありますが、これら重要文化財の仏像群について紹介していきます。

孝恩寺境内の石造物

孝恩寺石造物の写真

左:宝篋印塔 中央:五輪塔 右:板碑

孝恩寺境内には、数多くの石造物が残されています。写真にある3基の供養塔は、現在境内にあるなかでは古いもので、中央の五輪塔(ごりんとう)は、高さは110センチメートル、1348年(貞和4年)の銘があり、大阪府指定文化財に指定されています。左側の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、高さ141センチメートルで1576年(天正4年)の銘があり、二重宝篋印塔と呼ばれる特殊なものです。右側の板碑は、高さ112センチメートルで1577年(天正5年)の銘があり、市内では最古のものです。3基とも、1585年(天正13年)の豊臣秀吉の紀州攻め以前のものですが、石造のため兵火の影響を受けずに境内に残された貴重なものです。

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