孝恩寺 木造釈迦如来坐像
孝恩寺 木造釈迦如来坐像 1躯

孝恩寺 木造釈迦如来坐像
こうおんじ もくぞうしゃかにょらいざぞう
種別
重要文化財(美術工芸品 彫刻)
所有者氏名
宗教法人 孝恩寺
所有者住所
貝塚市木積798
時代
平安時代後期(10世紀後半)
構造
一木造、彫眼、彩色
法量
像高 89.0センチメートル
指定年月日
大正2年4月14日
木積(こつみ)の孝恩寺は、明暦元年(1655年)に孝恩上人によって創建された浄土宗知恩院末の寺院です。現在の本堂である観音堂(釘無堂)は、もとは深谷山観音寺という寺院の観音堂でしたが、大正3年(1914年)孝恩寺が合併し、昭和36年(1961年)より同寺の本堂となりました。観音寺は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)によって開創されたとされる寺院ですが、天正13年(1585年)の羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めに際して伽藍(がらん)や持仏の大部分が焼失し、残された観音堂と持仏は木積村の人々によって守られてきました。
釈迦如来は、仏教の開祖である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が仏となったものです。本像は、文殊(もんじゅ)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)を脇侍(きょうじ)として安置されていますが、両脇侍像はもと天部像ですので、本像ももとから釈迦如来として製作されたかどうかは不明です。現に左手指の形は薬壷(やっこ)を持するかのようであり、薬師如来の可能性があります。本像は、衲衣(のうえ)を偏袒右肩(へんたんうけん)に着し、右手は施無畏印(せむいいん)として、右足を上に結跏趺座(けっかふざ)する如来形です。頭・体根幹部をカヤかと思われる一材で彫り出し、これに膝前材を矧ぎつけます。後頭部、背面部、像底より内刳(うちぐ)りをほどこし、蓋板(ふたいた)をあてます。衲衣の表は朱、裏は緑青(ろくしょう)彩としています。全体に量感を強調する傾向は少なく、体奥・膝高も小さいです。右肩や膝前にみられる翻波式衣文(ほんぱしきえもん)も浅く、表面的な線状的美しさを見所としているかに見え、本像の製作が9世紀に遡らないことを示しています。また、像底からの内刳りは大きく、膝前材を腹部に刳り込む技法を使用していますが、これも10世紀後半以降のものですので、本像の製作期は10世紀後半以降と考えられます。
伽藍
寺院の建物の総称
釈迦牟尼仏
仏教の開祖である釈迦のこと
脇侍
中尊をはさんで左右に侍する仏像のことで、釈迦如来に侍するのが文殊菩薩と普賢菩薩
衲衣
如来がまとう衣
偏袒右肩
右肩をあらわにする衲衣の着方
施無畏印
仏像の手の組み方の一つで、右手をあげてずべての指を伸ばし外向きにすること
結跏趺坐
足の甲で左右されぞれ反対側のももを押さえる形の座り方
内刳り
木彫像において、木の干割(ひわ)れを防ぎ、重量を軽減するために、像の背面や底面から木心を除くこと
蓋板
内刳り部分を隠すために使用される蓋状の板
翻波式衣文
平安時代初期の木彫の仏像にみられる衣のしわの表現様式。大波と小波を交互に規則正しく繰り返したような表現をする
- この記事に関するお問い合わせ先
-
教育部 文化財保存活用室
電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階
更新日:2022年03月10日