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孝恩寺 木造文殊菩薩立像

更新日:2021年03月19日

孝恩寺 木造文殊菩薩立像 1躯

孝恩寺木造文殊菩薩立像

孝恩寺 木造文殊菩薩立像

こうおんじ もくぞうもんじゅぼさつりゅうぞう

種別

重要文化財(美術工芸品 彫刻)

所有者氏名

宗教法人 孝恩寺

所有者住所

貝塚市木積798

時代

平安時代後期(10世紀)

構造

一木造、彫眼、彩色

法量

像高 169.0センチメートル

指定年月日

大正2年4月14日

 

木積(こつみ)の孝恩寺は、明暦元年(1655年)に孝恩上人によって創建された浄土宗知恩院末の寺院です。現在の本堂である観音堂(釘無堂)は、もとは深谷山観音寺という寺院の観音堂でしたが、大正3年(1914年)孝恩寺が合併し、昭和36年(1961年)より同寺の本堂となりました。観音寺は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)によって開創されたとされる寺院ですが、天正13年(1585年)の羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めに際して伽藍(がらん)や持仏の大部分が焼失し、残された観音堂と持仏は木積村の人々によって守られてきました。

文殊菩薩は、諸仏の知恵をつかさどる菩薩で、釈迦如来(しゃかにょらい)の脇侍(きょうじ)として、普賢菩薩(ふげんぼさつ)とともに三尊を形成します。本像は、右手に剣、左手に巻子(かんす)を持ち(いずれも後世のもの)、普賢菩薩像と対にして安置されていますが、いわゆる唐服(からふく)をまとっているので、本来は天部像と判断されます。髻頂(けいちょう)より足元まで、両袖口までを含んでカヤの一材で彫り出しています。背面襟の少し下より膝裏のあたりにかけて内刳(うちぐ)りをし、蓋板(ふたいた)をあてています。白土(はくど)下地の上に朱、緑青(ろくしょう)などの彩色をほどこしていることがわかります。天冠台(てんかんだい)は金箔(きんぱく)を置いています。普賢菩薩像とは顔立ちや服装が異なることから、両像が一対とは考えにくいかも知れませんが、ほぼ同じ像高を示し、製作時期も同じ頃と考えられるので、当初より一対で製作された可能性は否定できません。

伽藍

寺院の建物の総称

脇侍

中尊をはさんで左右に待する仏像のことで、釈迦如来に待するのが文殊菩薩と普賢菩薩

巻子

紙を長く横につぎ合わせ、その一端に軸をつけた巻き物

唐服

中国風の衣服

髻頂

髪を頭の上に集めて束ねたところを髻(もとどり)といい、その頂点

内刳り

木彫像において、木の干割(ひわ)れを防ぎ、重量を軽減するために、像の背面や底面から木心を除くこと

蓋板

内刳り部分を隠すために使用される蓋状の板

天冠台

仏などがかぶる宝冠

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