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孝恩寺 木造十一面観音立像(伝勢至菩薩像)

更新日:2022年03月10日

孝恩寺 木造十一面観音立像(伝勢至菩薩像) 1躯

孝恩寺木造十一面観音立像(伝勢至)

孝恩寺 木造十一面観音立像(伝勢至菩薩像)

こうおんじ もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう(でんせいしぼさつぞう)

種別

重要文化財(美術工芸品 彫刻)

所有者氏名

宗教法人 孝恩寺

所有者住所

貝塚市木積798

時代

平安時代前期(9世紀)

構造

一木造、彫眼、漆箔・黒漆塗

法量

像高 167.5センチメートル

指定年月日

昭和13年8月26日

 

木積(こつみ)の孝恩寺は、明暦元年(1655年)に孝恩上人によって創建された浄土宗知恩院末の寺院です。現在の本堂である観音堂(釘無堂)は、もとは深谷山観音寺という寺院の観音堂でしたが、大正3年(1914年)孝恩寺が合併し、昭和36年(1961年)より同寺の本堂となりました。観音寺は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)によって開創されたとされる寺院ですが、天正13年(1585年)の羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めに際して伽藍(がらん)や持仏の大部分が焼失し、残された観音堂と持仏は木積村の人々によって守られてきました。

十一面観音は、救済の働きが多面的であることを象徴した10あるいは11の小面をつけた観音です。本像は、阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)の脇侍(きょうじ)の勢至菩薩(せいしぼさつ)像として安置されていますが、頭上面の穴からもとは十一面観音であったことがわかります。髻頂(けいちょう)より足元まで、両臂(ひじ)までを含んで一材から彫り出しますが、内刳(うちぐ)りはほどこしていません。装飾品や持物(じもつ)、両臂先、衣の一部などは後世のものです。伝観音像とほぼ同じ像高で、同じ蓮茎(れんけい)を持ち、肉身部は漆箔(しっぱく)、衣部は黒漆(くろうるし)としていますので、一見、両像は一組の像のように見えますが、両像は形式及び様式において相違点が目立ちます。伝観音像のプロポーションの良い体に比べて伝勢至像は抑揚の少ない、いわゆるずん胴形で、両腕も異様に太く、臂部もとび出し、誇張的な面が見られます。衣の表現も類型的な翻波式衣文(ほんぱしきえもん)と、両脚間の図式的な振動波状の波であり、背面の粗い処理と呼応して、伝観音像よりも製作時期の下降を感じさせます。伝観音の洗練された作風とは異なり、いわゆる地方作の粗さと力強さを持つ像です。

伽藍

寺院の建物の総称

脇侍

中尊をはさんで左右に侍する仏像のことで、阿弥陀如来に侍するのが観音菩薩と勢至菩薩

髻頂

髪を頭の上に集めて束ねたところを髻(もとどり)といい、その頂点

内刳り

木彫像において、木の干割(ひわ)れを防ぎ、重量を軽減するために、像の背面や底面から木心を除くこと

持物

仏像の手にしているもの

天衣

菩薩や天部などが肩や腕から垂らす帯状の衣

蓮茎

蓮の花とその茎

漆箔

漆の上に金箔や銀箔をおく技法

翻波式衣文

平安時代初期の木彫の仏像にみられる衣のしわの表現様式。大波と小波を交互に規則正しく繰り返したような表現をする

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