孝恩寺 木造阿弥陀如来坐像(所在観音堂)
孝恩寺 木造阿弥陀如来坐像(所在観音堂) 1躯

孝恩寺木造阿弥陀如来坐像(所在観音堂)
こうおんじ もくぞうあみだにょらいざぞう(しょざいかんのんどう)
種別
重要文化財(美術工芸品 彫刻)
所有者氏名
宗教法人 孝恩寺
所有者住所
貝塚市木積798
時代
平安時代後期(12世紀後半)
構造
寄木造、彫眼、漆箔
法量
像高 138.8センチメートル
指定年月日
昭和13年8月26日
木積(こつみ)の孝恩寺は、明暦元年(1655年)に孝恩上人によって創建された浄土宗知恩院末の寺院です。現在の本堂である観音堂(釘無堂)は、もとは深谷山観音寺という寺院の観音堂でしたが、大正3年(1914年)孝恩寺が合併し、昭和36年(1961年)より同寺の本堂となりました。観音寺は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)によって開創されたとされる寺院ですが、天正13年(1585年)の羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めに際して伽藍(がらん)や持仏の大部分が焼失し、残された観音堂と持仏は木積村の人々によって守られてきました。
阿弥陀如来は、いっさいの衆生(しゅじょう)を救うために、四八の誓いをたてた、西方浄土に住む仏です。本像は、現在、孝恩寺の仏像群を収めた収蔵庫内部中央に、伝観音、伝勢至の両像(ともに本来は十一面観音立像)を配して安置されています。頭部に耳後を通る線と正中線に矧(は)ぎ目が見られるので、3材~4材製と思われますが、体部の構造は後補(こうほ)の漆箔(しっぱく)のために明らかではありません。いわゆる半丈六(はんじょうろく)の阿弥陀像で、衲衣(のうえ)を遍袒右肩(へんたんうけん)に着して、右足を前に結跏趺坐(けっかふざ)し、腹前で弥陀定印(じょういん)〈上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)〉を結んでいます。丸顔で起伏の少ない面部に小さめの眼・鼻・口を配して穏やかながら繊細な感覚が見られます。体部も起伏が少ないですが、衣文(えもん)にはやや自由の風がうかがえ、製作は12世紀後半と思われます。
伽藍
寺院の建物の総称
衆生
生きとし生けるもの
後補
後の時代に補修すること
漆箔
漆の上に金箔や銀箔をおく技法
半丈六
仏像の高さの基準で、立像は八尺、坐像は四尺のものを指す。なお、釈迦の身長が一丈六尺(約4.85メートル)であったとされることから、その高さの仏像を丈六(坐像は半分の八尺)、丈六より大きなものを大仏、半分のものを半丈六という
衲衣
如来がまとう衣
偏袒右肩
右肩をあらわにする衲衣の着方
結跏趺坐
足の甲で左右それぞれ反対側のももを押さえる形の座り方
弥陀定印
仏像の手の組み方の一つ。禅定印が変化したもので、阿弥陀如来のみにみられる。結跏趺坐した状態で両手とも掌を上にして合わせ、両手の第二指を立て、残りの四指の指先を互いに接する
衣文
彫刻などにおいて人物などの体に動きによって生じる衣服の線
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更新日:2022年03月10日