現在の位置

孝恩寺観音堂

更新日:2023年03月30日

孝恩寺観音堂 1棟

孝恩寺観音堂の写真

こうおんじかんのんどう

種別

国宝(建造物)

所有者氏名

宗教法人 孝恩寺

所有者住所

貝塚市木積798

時代

鎌倉時代

構造

寄棟造、本瓦葺

規模

桁行5間、梁間5間

指定年月日

明治36年4月15日

 

木積(こつみ)の孝恩寺は、明暦元年(1655年)に孝恩上人によって創建された浄土宗知恩院末の寺院です。現在の本堂である観音堂(釘無堂)は、もとは深谷山観音寺という寺院の観音堂でしたが、大正3年(1914年)孝恩寺が合併し、昭和36年(1961年)より同寺の本堂となりました。観音寺は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)によって開創されたとされる寺院ですが、天正13年(1585年)の羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めに際して伽藍(がらん)や持仏の大部分が焼失し、残された観音堂と持仏は木積村の人々によって守られてきました。

観音堂は、「釘無堂」とも呼ばれ、様式的には鎌倉時代の建築と認められる大阪府下で最古級の木造建造物です。桁行(けたゆき)5間、梁間(はりま)5間、寄棟造(よせむねづくり)、本瓦葺で、屋根は行基葺(ぎょうきぶき)となっています。前面2間は礼堂(らいどう)、その北側の中央桁行3間梁間2間を内陣、内陣の側背3面1間通りを外陣とし、周囲に濡れ縁(ぬれえん)をめぐらせます。全体的には伝統的な和様を基調とする落ち着いた造りですが、随所に禅宗様(ぜんしゅうよう)と大仏様(だいぶつよう)という鎌倉時代に伝わった新しい建築様式が取り入れられていることから、鎌倉時代でも後半期に属する建物と考えられています。

伽藍

寺院の建物の総称

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