日本と世界の望遠鏡の動向
諸外国の動き
西暦
1608:オランダの眼鏡師リッペルスハイが望遠鏡を作る。
1610:ガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で木星の4衛星、太陽黒点などを発見。
1611:ケプラーが天体望遠鏡の原理を発表。
1615:ドイツのシャイナー、ケプラー式天体望遠鏡を作る。
1655:オランダ、ホイヘンスが土星の衛星チタンを望遠鏡で発見。
1663:スコットランドのグレゴリー、反射望遠鏡を考案。
1668:イギリスのニュートン、新案の反射望遠鏡を作る。
日本の動き
西暦
1613(慶長18) :イギリス東インド会社が派遣した船隊司令官ジョン・セーリスが徳川家康に望遠鏡を贈る。
1659(宝暦6):長崎の野母遠見番所に遠眼鏡を据える。
1756(万治2):岩橋善兵衛、貝塚に生まれる。
1772(安永1):豊後藩医、麻田剛立が脱藩し大坂で天文学を専心。門下に高橋至時・間重富らが続出。
1793(寛政5):善兵衛、屈折望遠鏡を完成させ太陽黒点を観測。「サイクツモリ」を書き出す。京都で学者を対象に善兵衛の望遠鏡で天体観測をさせる。
1795(寛政7):高橋至時・間重富、幕府の天文方へ出る。
1795(寛政8):善兵衛、間重富の求めで江戸の天文台へ届ける望遠鏡を作る。以後、江戸からの注文が増える。
1800(寛政12):伊能忠敬、幕府天文方の高橋至時の指導のもとに善兵衛の望遠鏡を用い全国測量を始める。
1801(享和1):善兵衛、「平天儀」を作る。
1802(享和2):善兵衛、「平天儀図解」を刊行。
1811(文化8):5月25日、善兵衛56歳で没。源兵衛が後継。
1821(文政4):伊能忠敬の『大日本沿海與地全図』完成。
1833(天保4):近江の国友藤兵衛、反射望遠鏡を作る。善兵衛の跡継ぎ源兵衛51歳で没。
1863(文久3):3代源兵衛58歳で没、4代源兵衛が相続、明治に至る。
- この記事に関するお問い合わせ先
-
教育部 善兵衛ランド
電話:072-447-2020
ファックス:072-447-0149
〒597-0105
大阪府貝塚市三ツ松216
更新日:2009年11月12日