観光ボランティアガイドと訪ねる貝塚歴史ウォーク

更新日:2019年06月13日

武本さん東さん

海や山に溢れる自然、街や寺社に薫る歴史。「貝塚One Day Trip」は、魅力いっぱいの貝塚をめぐる小旅行を提案するコーナーです。今回は貝塚観光ボランティアガイド協会の武本さんと東さんの案内で、JR阪和線の東貝塚駅から和泉橋本駅まで、熊野古道探訪を中心としたウォーキングです。普段何気なく目にする風景が新鮮に映る再発見の小旅行へ、いざ出発!

歴史ウォークマップ

1.東貝塚駅~貝塚市歴史展示館~ユニチカ貝塚工場跡~貨物引込線跡

貝塚市歴史展示館

JR東貝塚駅から、まずは2005年秋にオープンした貝塚市歴史展示館へ。貝塚の近現代の歴史史料が展示されているこの展示館の特徴は、近代の産業を支えた紡績の器具など史料の一部を実際に手で触れることができることと、「東洋の魔女」こと東京オリンピック優勝の女子バレーボール日本代表メンバーの大半を輩出したニチボー貝塚バレーボールチームの資料です。回転レシーブを生み出した床板も展示されています。なおこの場所はユニチカ貝塚工場の敷地で、その面積は約5万坪!かつての貨物引き込み線は整備され遊歩道になっています。

 

貝塚市歴史展示館

住所 : 貝塚市半田138-1
電話:072-431-0500
営業時間:午前10時~午後4時
定休日:火曜日、祝日、年末年始
アクセス:JR阪和線東貝塚駅下車徒歩約5分
入館無料

2.明治天皇駐驛記念碑~橋本正高碑~海岸寺跡~海岸寺山古墳

明治天皇駐驛記念碑

15分ほど歩いて、緑の残る丘へ。現在は老人ホームとなっているこの丘陵地は、歴史が折り重なっています。明治31年(1902)の陸軍大演習の際、明治天皇がこの地に陣を構えられました。それを記念した碑と天皇が詠まれた歌の歌碑が建っています。近くには、南北朝時代の南朝方最後の忠臣と言われる橋本正高の碑も建っています。正高はおそらくこの丘陵地で最後の戦いに臨んだと思われます。天皇家に関した歴史がまさか、こんなところでとはおどろきですね。ちなみにこの丘陵地は、江戸時代は海岸寺というお寺でしたし、さらに古い時代には古墳でもあったようです。その遺構を訪ねる途中に、今ではもう珍しい存在となった泥小屋が現存しています。歴史学的にも民俗学的にも興味深い丘です。

3.熊野街道を歩く 半田一里塚~石才の牛神

ここから熊野街道を歩いてみましょう。熊野街道は小栗街道ともよばれ、平安時代には熊野詣で栄えました。半田一里塚は熊野街道沿いでは唯一現存する、江戸時代以前のものです。この場所できっと、たくさんの旅人が休憩したことでしょう。さて、ここらで私たちも一服しましょうか。熊野街道より一つ浜側の府道大阪和泉泉南線沿いに飲食店やコンビニなどがありますよ。さて、ここから街道沿いの仏様を見ていきましょう。岸和田からの水間道との分岐点に建つ祠は、どうやら弘法大師の座像が彫られ、その下が道標に。その先の石祠には屋根が道標となっています。さらに貝塚寺内への分岐点にも道標となる地蔵さんがあります。水間鉄道の線路をこえ、石才の集落を抜けたところには牛神が祀られています。昔の人たちは神仏に見守られながら旅をしたのでしょうね。

4.明智光秀の息子のものと伝わる墓~積善寺城跡~清水大師~JR和泉橋本駅

清水大師

さらに熊野街道を歩くと、貝塚中央線の高架下のところの市営墓地へと出ます。ここは僧行基が設置したものであると言われ、その一画に明智光秀の一子、南国玄琳和尚のものと伝わる墓があり、今でも手厚く祀られています。さらに進んで近木川を渡りますが、その深い谷の向こうの森が積善寺城跡です。室町時代の末期に根来・雑賀衆によって築かれた中世城郭のひとつで、秀吉によって落城しました。積善寺城跡の丘の向こうの清水大師は、その名の通り弘法大師が杖で湧き出させたという泉があり、今も静かに水を湛えています。清水大師から約10分でJR和泉橋本駅へ。歴史をめぐるコース、みなさまも是非お越しください。私たち貝塚観光ボランティアガイド協会のメンバーがみなさまをご案内いたします。どうぞお気軽に!