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発見された文字記録2 再建以後の修理

更新日:2020年05月28日

本堂余間天井柱(宝暦年間の墨書)の写真

宝暦年間の墨書

内陣の天井板(文化年間の墨書)の写真

文化年間の墨書

本堂内陣の天井絵の写真

本堂内陣の天井絵

今回の半解体修理にあたり発見された文字記録には、1663年(寛文3年)の再建以後の修理に関するものもあります。

再建以後、最初の修理は約100年後の宝暦年間です。画像「宝暦年間の墨書」には、「宝暦五年乙亥十二月中旬/新組天井仕替へ申候/仕込取附ケ 両人也/谷氏吉兵衛正春/堀信貴氏/治兵衛正次」と書かれています。この記録は本堂余間(よま)の天井柱に書かれていたもので、1755年(宝暦5年)12月中旬に谷吉兵衛正春(たにきちべえまさはる)と堀村の信貴治兵衛正次(しぎじへえまさつぐ)の2名によって余間の天井が張替えられたことがわかります。

続いての修理は文化年間です。画像「文化年間の墨書」には、「文化六己巳年小春日/於冨田氏以是洗/粉色繕/泉南佐浦観玉橘与行(花押)」と書かれています。この記録は内陣(ないじん)の天井板に書かれていたもので、1809年(文化6年)小春日(陰暦10月ごろ)に冨田氏という人物によって天井絵の彩色が修理されたことがわかります。なお、天井絵の構造からは、この時に紙に描かれた絵が本来の板絵の上から新たに貼り付けられたものと考えられています。

次の修理は安政年間です。画像「本堂内陣の天井絵」には、描かれた書物の表題として「安政己未」や「御年忌」と書かれていることがわかります。「安政己未」とは1859年(安政6年)のことです。また、「御年忌」とは2年後の1861年(万延2年)にあたる浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の600回忌を指していると思われます。すなわち、親鸞の600回忌の法要にあわせて、天井絵の塗り直しが行われたものと考えられます。

このように、江戸時代には内陣を中心とした修理が3回行われたことが明らかになっています。その後、親鸞の650回忌法要直前の1911年(明治44年)に本堂内の彩色の塗り直しと部分的な屋根瓦の葺き替えが行われ、1973年(昭和48年)には金箔の押し直しが行われるなど、近代以降の修理内容についても同様の文字記録から明らかになっています。


注意 画像は財団法人文化財建造物保存技術協会大阪支部 重要文化財 願泉寺本堂他5棟設計監理事務所より提供を受けたものを掲載しています。

追加情報 2009年(平成21年)に解体された表門から発見された修理札には、1790年(寛政2年)、本願寺第11代顕如(けんにょ)の200回忌にあたり、本堂内陣の修理が行われたことが記されていました。

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