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発見された文字記録1 寛文年間の再建

更新日:2020年05月28日

願泉寺再興造立奉加帳の写真

願泉寺再興造立奉加帳

本堂南面破風板の仕口部分(寛文3年の墨書)の写真

寛文3年の墨書

欄間彫刻の裏面(寛文4年の墨書)の写真

寛文4年の墨書1

内陣の柱(寛文4年の墨書)の写真

寛文4年の墨書2

修理前の願泉寺本堂は、江戸時代1663年(寛文3年)に再建されたものです。この再建年代を証明する資料としては、1662年(寛文2年)に作成された再建のための奉加(ほうが、寄付のこと)を集めた時の記録「願泉寺再興造立奉加帳」3冊が願泉寺に現存しています。

今回の半解体修理にあたり、本堂のいろいろな場所から1663年の再建時に記された文字記録が発見されました。記録のほとんどは墨(すみ)で書かれた墨書(ぼくしょ)で、年代のほか、寄進者や大工の名前などが主に記されています。以下、いくつかの内容を紹介します。

画像「寛文3年の墨書」には、「寛文三年弐月一日釿初給也/此時大工奉行山出与次右衛門」と書かれています。この記録は本堂南面の破風板(はふいた)の仕口(しぐち)部分に書かれたもので、釿初(ちょうなはじめ、起工式のこと)が1663年2月1日に行われたことと大工奉行が山出与次右衛門(やまいでよじえもん)という人物であったことがわかります。

次の画像「寛文4年の墨書1」には、「于時寛文四年甲辰/六月八日/種嶋与 衛門/作」と書かれています。この記録は蓮が彫られた欄間(らんま)彫刻の裏面に書かれたもので、この欄間が1664年6月8日に種嶋与衛門(たねがしまよえもん)という人物によって製作されたことがわかります。

最後の画像「寛文4年の墨書2」には、「寄進/金彩色供/寛四六月八日/近木町」と書かれています。この記録は内陣(ないじん)の柱に書かれたもので、1664年6月8日に近木町(こぎのちょう、貝塚寺内5町の1町)の寄進で内陣の金彩色がなされたことがわかります。

このような文字記録を総合すると、実際の再建工事は1663年から1664年にかけて行われたことが明らかになりました。


注意 墨書を撮影した画像は財団法人文化財建造物保存技術協会大阪支部 重要文化財 願泉寺本堂他5棟設計監理事務所より提供を受けたものを掲載しています。

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