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本堂の屋根瓦

更新日:2020年05月28日

16世紀末の丸瓦 凹面の写真

16世紀末の丸瓦 凹面

本堂瓦刻印「丸に五」の写真

本堂瓦刻印「丸に五」

本堂瓦刻印「丸に五」と「丸に堺」の写真

本堂瓦刻印「丸に五」と「丸に堺」

本堂瓦ヘラ書き「堺」の写真

本堂瓦ヘラ書き「堺」

本堂瓦刻印「泉州貝塚瓦師源兵衛」の写真

本堂瓦刻印「泉州貝塚瓦師源兵衛」

本堂瓦刻印「泉州貝塚瓦屋七兵衛」の写真

本堂瓦刻印泉州貝塚瓦屋七兵衛」

今回の半解体修理では、屋根まわりの工事が中心であることから、約5万枚ある瓦は全ていったん降ろされました。降ろされた瓦を1枚1枚調査したところ、次のようなことがわかりました。

最も古い瓦は製作技法から16世紀末と考えられるもので、凹面に粘土のかたまりから糸で瓦材を切り出す時にできる「糸切り」という痕跡が残っていました。これらの瓦は、屋根の背面中央部にまとまって葺かれていました。記録では1598年(慶長3年)に前身本堂が建立されたとあり、建物自体にも古材が多く転用されていることから、これらの瓦も前身本堂に葺かれていたものが再利用された可能性が高いと思われます。

また、製作者を示す刻印がおされた瓦も多数見つかりました。最も数が多いのは「丸に五」という刻印がおされたもので、1663年(寛文3年)の再建時に葺かれた当初瓦であると思われます。この「丸に五」の刻印瓦の中には、「丸に堺」の刻印がおされたものと、凹面に「堺」とヘラで書かれたものが見つかっていることから、堺で造られた瓦である可能性が高いと思われます。堺には宝暦年間(1751年から1764年)ごろに活躍した「五郎兵衛」という瓦職人がいたことがわかっており、もしかするとこの人物が作成した瓦であるかもしれません。

その他としては、「泉州貝塚瓦師源兵衛」、「泉州貝塚瓦屋七兵衛」、「泉州貝塚瓦師八兵衛」などの刻印がおされた瓦が少量ですが見つかっています。これらの瓦は、江戸時代から近代にかけての部分的な修理を行った時に使用されたものだと考えられます。

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