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更新日:2020年02月05日

地域で守り続けられる櫛の神様 八品神社

貝塚市は日本最古の櫛の生産地と伝えられ、「和泉櫛」(つげ櫛)は現在も貝塚市の伝統工芸の一つとして知られています。

 

今回のテンプスでは、3月7日(土曜日)から開催する郷土資料展示室特別展「貝塚市の伝統工芸 和泉櫛ヒストリー」の開催にあわせて、和泉櫛発祥の地とされる貝塚市澤にある櫛の神さま「八品神社」について紹介します。

八品神社のはじまり~「八品神社由来記」から~

現在の八品神社、鳥居前から本殿方向の写真

現在の八品神社(貝塚市澤)

八品神社のはじまりは、現在の時代区分では古墳時代後期にあたる欽明(きんめい)天皇(539~571年)の時代だと伝えられています。その伝説については諸説ありますが、江戸時代に書かれたと考えられる八品神社の縁起(えんぎ)「八品神社由来記」を要約すると、次のような内容になります。

欽明天皇の時代、天皇がお住みになる御殿(ごてん)の柱に不思議な形をした虫喰いがあらわれました。そこで人を呼んで占わせたところ、その人は「この虫食いは櫛という物を作る道具の形をしています。紙に書き写して、その絵図面を御殿の破風(はふ:建物の屋根の一部分)に掛けておけば、3日の間に不思議なことが起こるでしょう。その絵図面の向かうところを櫛作りの場所、八品明神(みょうじん)としてお祭りしてください。」と申し上げました。天皇はその言葉に感心して、勅使(ちょくし)を呼んで絵図面を作らせ、破風にかけたところ、1羽の鳥が飛んできて絵図面をくわえて飛び去りました。そして、その鳥は和泉国澤村の西の海岸に絵図面を落としました。その場所からまばゆい光がさすので、人びとが集まって見てみると、絵図面と櫛作りについて詳しく書かれた書付がありました。それより澤村では櫛作りが始まり、次第に隣村にも広がっていきました。絵図面と書付は「八品明神」という神社に納められ、村中の人々が八品明神の氏子(うじこ)となりました。

 

この縁起の内容については、江戸時代に幕府が全国の視察のため派遣した巡見使(じゅんけんし)に提出された記録など、多くの記録に同様のものが記されていることから、八品神社の由来として、古くから伝えられてきたものと考えられています。