現在の位置

3ページ

更新日:2024年01月31日

岩橋善兵衛と伊能忠敬 その2

伊能忠敬測量隊による貝塚周辺の測量

伊能忠敬キャラクター

伊能忠敬  善兵衛ランドキャラクター

伊能忠敬による全国測量は足掛け17年、全10次に分けて行われました。その中で貝塚市域を含む和泉国の沿岸部の測量は、1805年(文化2年)2月から翌1806年11月にかけての近畿・中国の測量、第5次測量の中で行われました。

忠敬の測量日記によると、1805年8月16日、「尾崎村」(大阪府阪南市)から「岸和田城下」(大阪府岸和田市)までの沿岸部の測量が行われました。測量隊は二手に分かれ、忠敬を含む「後手」(後発隊)6名が尾崎村から「佐野村」(大阪府泉佐野市)までを、「先手」(先発隊)5名が佐野村から岸和田城下までの測量を行い、一行は「岸和田北ノ浜、春木屋吉蔵」宅に宿泊しました。岸和田藩(当時の藩主9代岡部長慎(ながちか))は、目付役ほかの役人たちが「樽井村」まで挨拶に出向いたほか、城下の町年寄や庄屋たちも測量隊を出迎えました。また、貝塚卜半寺内(ぼくはんじない、貝塚寺内町)からは「貝塚村卜半真教院家来久保権平、高林与兵衛」の2人が先発隊の「見舞」い(挨拶)に出向きました。

残念ながら測量中に忠敬と善兵衛が接触した記述は見られませんが、測量隊は紀州街道沿いの脇浜新町から目と鼻の先の脇浜浦を測量しながら、貝塚浦、津田浦と北上していったのでした。

岩橋善兵衛と伊能忠敬は歴史上直接接触することはありませんでしたが、時代の要求に応えて製作された善兵衛の望遠鏡が忠敬の功績を下支えしたことは今回紹介した通りです。貝塚市では、善兵衛の顕彰施設である善兵衛ランドを中心に、令和5年度から忠敬の顕彰施設である伊能忠敬記念館のある千葉県香取市との連携事業を進めています。
令和5年度は、6月に本市より酒井市長ほか4名が香取市を訪問し、貝塚市と善兵衛ランドのPRを行いました。11月には香取市より伊能忠敬記念館館長ほか3名が本市を訪問し、善兵衛ランドで伊能忠敬記念館の協力を得て企画展「善兵衛と伊能忠敬」展(11月2日~19日)と、郷土資料展示室の特集展示「古文書に見る岩橋善兵衛」(11月1日~12月24日)を観覧しました。

善兵衛の望遠鏡がつないだ郷土の偉人の関係をもとに、今後も両市の交流をさらに深めていきたいと考えています。

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室 郷土資料室

電話:072-433-7205
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目12番1号 市民図書館2階

メールフォームによるお問い合わせ