現在の位置

6ページ

更新日:2021年06月10日

根福寺城跡(こんぷくじじょうあと)の調査

根福寺城は、大川と秬谷(きびたに)の集落の北側にある山城です。水間村の庄屋・井手家に残る古文書には、天文4年(1535年)に和泉国守護代の松浦肥前守守(まつらひぜんのかみまもる)が築城し、当初は野田山城と呼ばれていましたが、天文12年(1543年)に根来寺の支配下になり根福寺城に改称したと書かれています。城は東西500メートル、南北350メートルの尾根に広がるもので、高槻市の芥川山(あくたがわさん)城(東西500メートル、南北500メートル)、四條畷市・大東市の飯盛(いいもり)城(東西400メートル、南北650メートル)と並び大阪府内最大級の山城の一つです。

今回、野田山城・根福寺城跡保存会の山本太郎さんの協力を得て令和3年3月8日から11日にかけて調査を行いました。調査は、研究者により作成された縄張り図をベースに、東峰から西峰の千畳敷と呼ばれる平坦な部分まで、歩いて状況を調べる踏査を行い、堀切(ほりきり)と言う尾根筋の侵入を防ぐための堀や、斜面の横方向の移動を防ぐ竪堀を並べて造られた畝状空堀群(うねじょうからほりぐん)などの現状を確認しました。

調査の結果、広範囲で点々と瓦を採集することができたほか、東峰では、平安時代まで遡(さかのぼ)る可能性のある土師器(はじき)や須恵器(すえき)、中世の陶磁器などの土器を採集しました。採集遺物から、城郭内に瓦葺(ぶ)きの建物が建てられていたこと、城郭が造られる以前から人が生活していたことが分かりました。結果を受けてさらに調査を深めるため、城郭の研究者に協力を求め、引き続き調査を実施していく予定です。

※城跡は、私有地のため立ち入ることはできませんのでご注意ください。

根福寺城跡の縄張り図

根福寺城跡縄張り図(『貝塚市基本調査報告書』より転載、一部加筆)

瓦の散布状況の写真

瓦の散布状況

東峰の石垣の写真

東峰の石垣

堀切の写真

堀切

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ