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更新日:2018年10月05日

古文書講座―市内に残る身近な古文書―岸和田藩と朝鮮通信使

平成30年6月6日から7月4日にかけて毎水曜日の5回にわたり、「岸和田藩と朝鮮通信使」と題して古文書講座を開催しました。
江戸時代、朝鮮からの外交使節である「通信使」は12回来日しました。その際、岸和田藩は大坂での接待役を合わせて5回行っており、宿泊場所の警備や船着場までの護衛のほか、料理の手配などを担当しました。この時の様子を貝塚に残る当時の庄屋日記などの古文書から、読み解いていきました。
宝暦12年(1762年)4月11日の日記には、4月6日に通信使の中官(上官と下官の間)であった崔天宗(チェ・チョンジョン)が自害したとのことで、4月9日に帰国を予定していた通信使一行が大坂に留め置かれていることが書かれています。しかし、2週間後の4月25日の日記には、この事件は自害などではなく、対馬藩(つしまはん)の通詞(つうじ)であった鈴木伝蔵が崔天宗を刺殺し、逃亡したという真実が明らかとなりました。そして、5月2日の日記に、鈴木伝蔵が死罪を仰せ付けられて打ち首になったと記されています。
しかし、この日記はそうした事件の顛末(てんまつ)を詳細に書き留めることに主眼を置くものではなく、大坂に長期間留め置かれている岸和田藩主岡部長住(ながすみ)への心配が綴られています。藩主の無事を村々で祈っているだけでは止まらず、ついには使者を伊勢神宮に代参させています。「殿様」に対して領民たちが示す態度を読み取ることができます。
受講者の方からは「江戸時代における岸和田藩と朝鮮との交流があったとの点で知識がついた」、「帰城が遅れたことに対して、殿様の安否を気づかう庄屋たちの対応がおおげさで、現在の人々には理解しがたい」との声が寄せられています。

古文書講座の様子の写真

熱心に聞き入る受講生のみなさん

古文書講座57(通算272回~276回)開催のお知らせ

テーマ

江戸時代のものづくり

江戸時代、貝塚寺内町は政治的には「寺内町」、経済的には「港町」「宿場町」として発展しました。その中であまりスポットの浴びることの少ない職人たちの活動について、地域に残る古文書から明らかにしていきます。

日時

第1回 平成30年10月10日

第2回 10月17日

第3回 11月 7日

第4回 11月14日

第5回 11月21日
いずれも水曜日午後1時15分~3時45分

会場

貝塚市民図書館2階視聴覚室

資料代

100円

申込・連絡先は7頁をご参照ください。