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更新日:2018年02月01日

古文書講座 市内にのこる身近な古文書

殿様御成(とのさまおなり)

平成29年10月11日から11月15日にかけて各水曜日の5回にわたり、「殿様御成」と題して古文書講座を開催しました。
江戸時代、岸和田藩の殿様は国元に帰ると、村々を巡見したり、狩りや魚釣りなどに興じたりと、領内をまわりました。その時、村役人の家などに立ち寄り、昼食や休憩を取ることを「殿様御成」と呼び、それぞれの家の名誉と受
け止めていました。当時の古文書から、その様子を読み解きました。
村々の巡見の際には、十数名の家来を従え、荷物持ちなども含めるとその倍を超える数の行列となりました。家来の中には食事を用意する料理人、食材などを調達する台所奉行、さらに殿様のための医師が同行しました。
また、安永6年(1777年)の記録には、数え年15歳で殿様になったばかりの岡部長備(おかべながとも)が畠中村庄屋要源太夫家を訪れ、邸内の池を釣り堀として100匹を超える鮒(ふな)を釣り上げたり、家来を小牛の背中に乗せて楽しんだり、と若い殿様がはしゃぐ様子を知ることができました。
それに対し、親孝行の息子が年老いた母のために買ってきた「養老酒」(=江戸時代の薬用酒で美濃国「養老の滝」の土産物)を母にではなく殿様に献上した際、殿様はすぐに封を切り、老母をはじめ家族に下げ渡した逸話もテキストから明らかになりました。
この他、殿様ではなく、「御女中」(=藩の奥向きの用をはたした女性)が地蔵堂村の正福寺(しょうふくじ)にあった勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)をお参りし、その帰りに源太夫家に立ち寄り、子どもたちに人形などを与えた記録も残っています。
受講者の方からは「殿様の日常生活がかいまみられた」「殿様を迎える人びとの準備のたいへんさが目に浮かぶ」との声が寄せられています。

古文書講座54の写真

熱心に聞き入る受講生のみなさん

相良城請取(さがらじょううけとり)と七人庄屋 -開催中-

天明7年(1787年)に失脚した田沼意次(たぬまおきつぐ)の居城、遠江国(とおとうみのくに、現在の静岡県)相良城を召し上げるために幕府は、岸和田藩主岡部長備に城を請け取るよう命じました。この時殿様の晴れ姿を一目見ようと、岸和田藩の七人庄屋たちは、泉州からはるばる相良へ赴きました。講座では、相良で藩主を出迎えたことや道中の様子を古文書から読み進めています。

要家文書に残る相良城で七人庄屋が岸和田藩主にあいさつしたい旨願い出た伺い書の写真

相良城で七人庄屋が岸和田藩主にあいさつしたい旨願い出た伺い書(要家文書)