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更新日:2018年02月01日

岩橋善兵衛と望遠鏡5 -善兵衛をめぐる人びと その2-

善兵衛の望遠鏡は、初めて西洋天文学が取り入れられた暦『寛政暦』(かんせいれき)の作成に大きな役割を果たしたことが知られています。この改暦事業の中心となった一人が、大坂の天文学者麻田剛立(あさだごうりゅう)門下の高橋至時(たかはしよしとき)でした。
至時は大坂京橋口組定番同心(じょうばんどうしん)をつとめた下級武士でしたが、寛政7年(1795年)、幕府から暦学御用(れきがくごよう)として江戸への出府を命じられ、幕府天文方(てんもんかた)となりました。寛政8年(1796年)8月、改暦の命が正式に下されると、至時は江戸浅草の司天台(してんだい、幕府の天文台)から京都へ上り、当時の改暦の実質的な責任者であった公家土御門(つちみかど)家との調整や現地での天体観測など、朝廷のあった京都において改暦作業にあたりました。
このように、江戸と京都で改暦作業にあたった至時に、善兵衛は高性能な望遠鏡を提供しました。それを証明する史料が、善兵衛が遺した「仕入方直段控帳」(しいれかたじきだんひかえちょう)です。この帳面は、改暦事業の最中に作成されたため、江戸と京都の2ヵ所に至時の通称名である「高橋作左衛門」の名前が記されています。あわせて、至時以外の役人たちの名前も記されていることから、至時ら天文方の役人たちは、善兵衛にとって大きな得意先であり、善兵衛の望遠鏡は、当時国家事業であった改暦事業を担った人々に供給されたことが分かります。

天文方の役人たちの名前が記された「仕入方直段控帳」の写真

「仕入方直段控帳」に見られる天文方の役人たち
( 赤枠内が「高橋作左衛門(至時)」記載部分)

貝塚市立善兵衛ランド開館25周年イベントを開催

シンポジウムでの意見交換の様子の写真

シンポジウムでの意見交換

平成29年11月18日(土曜日)、貝塚市立山手地区公民館において、善兵衛ランド開館25周年シンポジウム「江戸時代の望遠鏡製作者、岩橋善兵衛の実像にせまる」を開催しました。
大阪市立科学館学芸課長の嘉数次人(かずつぐと)さん、富山市天文台専門官の渡辺誠さん、奈良県立大学名誉教授の上田穣(みのる)さん、堺女子短期大学名誉教授の浅井允晶(のぶあき)さんの4名によるミニ講演のあと、ご参加の皆さんからの質問に答える形でシンポジウムを行いました。
ミニ講演、シンポジウムともそれぞれの先生から、岩橋善兵衛の望遠鏡のすばらしさ、その時代における善兵衛の業績、そして善兵衛の人柄を感じさせるお話がありました。
また、善兵衛ランド展示室では、11月2日(木曜日)から30日(木曜日)まで特別展示「岩橋善兵衛展」を開催し、京都国立博物館所蔵の竹製望遠鏡や渡辺誠さん所蔵の一閑張望遠鏡など、善兵衛製作の望遠鏡の数々を展示しました。