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更新日:2018年02月01日

岡部長著(ながあきら)とその菩提寺

岡部氏の菩提寺は、初代宣勝(のぶかつ)の時代に整備された3ヵ寺がありました。宣勝の母親を祀った岸和田城下町(現在の岸和田市南町)の梅溪寺(ばいけいじ)、3代家光以降の将軍徳川家歴代を祀った半田村(現在の貝塚市半田)の海岸寺(かいがんじ)、岡部氏歴代の菩提寺となった土生村(はぶむら、現在の岸和田市門前町)の泉光寺(せんこうじ)です。その後、5代長著(下図版)の時代に小瀬村(現在の貝塚市小瀬)の釈尊寺(しゃくそんじ)と岸和田村(現在の岸和田市野田町)の十輪寺(じゅうりんじ)の2ヵ寺が菩提寺として整備されました。この2ヵ寺は貝塚市域と関係の深い寺院でした。

泉光寺に残る岡部長著像の写真

岡部長著像 泉光寺所蔵(写真提供 岸和田市教育委員会)

釈尊寺 長著の口添えで寺号を許可された寺院で、長著の父親である4代長敬(ながたか)の位牌が祀られたことで岡部氏の菩提寺となりました。現在は廃寺となっており、その詳しい歴史は分かりませんが、小瀬の無量寺や久保の最勝寺に寺宝が移されて残っています。

十輪寺と宝蔵寺 十輪寺は、日根郡浦田村(現在の貝塚市浦田)にあった寺院で、元文3年(1738年)、長著により岸和田村に移されました。長著が自身の菩提寺とするために移転させた寺院で、長著とその側室、家臣などの墓碑や位牌が祀られていました。
なお、浦田村の十輪寺の跡地には、延享2年(1745年)、宝蔵寺が建立されました。「宝蔵寺縁起」には、宝蔵寺はもと沢村にあった薬師如来をまつる寺院で、十輪寺の移転に際して、長著の命によりその跡地に小堂を建立し地蔵菩薩(下図版)を安置したと記されています。
江戸時代は一般に新たな寺院の建立が禁じられていましたが、歴代藩主の中でも、とりわけ仏教への信仰心に厚い人物であった長著は、自らの菩提寺を持つことを切望し、このような措置を取ったものと思われます。
 

宝蔵寺木造地蔵菩薩立像の写真

宝蔵寺の本尊
木造 地蔵菩薩立像

  今回紹介した事例から、岸和田藩領内の有力な寺院のいくつかが貝塚市域に存在したことが分かります。現在、釈尊寺は寺院自体が残っていませんが、独特の「寺僧」(じそう)制度をもとに地域ぐるみで運営されている水間寺、檀家を持たない遍照寺、明治初期に廃寺(はいじ)となった後、町会で管理されている宝蔵寺と、いずれの寺院も貝塚市内で特色のある寺院となっています。
 

平成29年度貝塚市郷土資料展示室特別展 「岸和田藩と貝塚」のお知らせ

平成29年6月28日付で岸和田藩の七人庄屋屋敷「要家住宅」が国の登録有形文化財となったことを記念して、岸和田藩と貝塚市内の寺社との関係を中心に、江戸時代の貝塚市域と岸和田藩についての資料を展示します。

会期:平成30年3月10日(土曜日)から4月22日(日曜日)
会場:貝塚市郷土資料展示室(貝塚市民図書館2階)
開室時間:午前9時30分から午後5時まで
休室日:毎火曜日、3月21日(水曜日・祝日)、3月31日(土曜日・図書館休館日)
観覧料:無料