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更新日:2020年05月29日

古文書講座 市内にのこる身近な古文書

根来者(ねごろもの)と泉南・紀北 秀吉の紀州攻めとその後

平成29年6月7日から7月12日まで各水曜日の5回にわたり、古文書講座53「根来者と泉南・紀北―秀吉の紀州攻めとその後―」を開催しました。テキストに、豊臣秀吉、さらに徳川家康、紀伊徳川家との関係の話を取り上げ、当時の様子を考察しました。

秀吉の紀州攻めのうち近木川周辺の戦いは、秀吉勢に対峙する根来(ねごろ)・雑賀(さいか)の衆や、地域の土豪や地侍(地方に暮らす武士)をはじめ百姓らが、近木川流域の諸城に立てこもった戦いです。戦いは圧倒的多数を誇る秀吉勢にわずか2日のうちに敗れました。その後、秀吉勢は紀州へ向かい、根来寺を焼き討ちし、雑賀衆のこもる太田城を水攻めにしています。その後根来寺の勢力は智山派(ちざんは、京都東山に智積院(ちしゃくいん)を復興)と豊山派(ぶざんは、大和の長谷寺を拠点とする)の二つに分かれ、かつて根来衆と呼ばれた僧兵とされる「根来者」は取り残されていたと記されています。

さらに、根来者が秀吉と家康との間で争われた小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いの際、家康に味方し、勇猛果敢に戦った様子が描かれています。その功をもって、徳川将軍家や紀伊徳川家に召し抱えられることとなったと綴られています。

受講者の方からは「根来者を取り巻く時代と紀州藩との関係、大変楽しく勉強になりました」などの声が寄せられています。

古文書講座53の写真

熱心に聞き入る受講生のみなさん