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更新日:2020年05月29日

岩橋善兵衛と望遠鏡3 京都における2度目の天体観測

『望遠鏡観諸曜記』(ぼうえんきょうかんしょようき)には、「再観諸曜記」として、初めての天体観測から2年後に行われた2度目の天体観測が記されています。
1795(寛政7)年10月、善兵衛は「前の鏡に比べ更に長さ数尺」の望遠鏡を持って再び京都にやってきました。この時、新しい望遠鏡で「歳星」(さいせい)(木星)と「鎮星」(ちんせい)(土星)を再び観測しました。歳星については、星の表面に「三帯有り」とあり、大気の帯の観測に成功しています。また、鎮星については、「一つの輪有りて、斜めに本星を纏(まと)へり」とあり、環の観測に成功しています。
この時の観測について著者の橘南谿(たちばななんけい)は、「蛮書ステルレコンスト」(『星の書』という題名のオランダの書物)に載っている2つの星の図に正しく符合するものだとして、善兵衛の製作した望遠鏡の精巧さを改めて賞讃し、付録として記録にとどめると記しています。
「再観諸曜記」は文章のみですが、漢文の『望遠鏡観諸曜記』の訳文が記された伴高蹊(ばんこうけい)の随筆『閑田次筆』(かんでんじひつ)には、2度目の観測でのスケッチが掲載されています。またこの書物には、翌1796年にも観測が行われたことが記されています。善兵衛は、製作した望遠鏡で実際に天体観測を何度も行うことで、その性能を向上させていったのです。

注意 貝塚市立善兵衛ランドでは『望遠鏡観諸曜記』(写本複製品)を展示しています。

『閑田次筆』に掲載されている歳星および鎮星真図の写真

『閑田次筆』掲載の「歳星・鎮星真図」 大阪府立中之島図書館所蔵

水間街道沿いの道しるべ その5

水間街道道標7位置図の画像


 

水間街道は厄除けの「水間観音」として有名な水間寺への参詣道です。今号では、三ツ松に残る1基を紹介します。

水間街道道標7(三ツ松)

三ツ松を通る水間街道沿いの小さな祠(ほこら)にまつられている道しるべで、阿間河道(あまがみち)、貝塚、それぞれの方向を示したものです。正面に地蔵菩薩立像を浮き彫りにし、地蔵の左右に「右あまがみち」、「左かいづか」という文字が刻まれています。阿間河道とは、岸和田市の阿間河滝へ向かう道という意味です。また、台座には「貝 魚 力」と、寄進者と思われる文字も刻まれています。

水間街道道標7の写真