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更新日:2020年05月29日

まぼろしの寺院「海岸寺(かいがんじ)」の石灯籠(いしどうろう)

岸和田市との市境にあたる半田の海岸寺山とよばれる丘陵地には、海岸寺という徳川家歴代将軍をまつる寺院がありました。今回のテンプスでは、かつて海岸寺境内に建立され、現在は泉南地域の各地に残る6基の石灯籠を紹介します。
海岸寺は、岸和田藩主の岡部家初代宣勝(のぶかつ)が、1651年(慶安4年)に亡くなった江戸幕府の第3代将軍徳川家光の死をとむらうために建立した寺院です。
この寺院は、1656年(明暦2年)の冬から翌年の夏にかけて造営されました。宗派は天台宗、本山は江戸にあった東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)でした。本堂には、4代将軍家綱以降も将軍が亡くなるたびに高さ約80センチメートルもある歴代将軍の位牌が奉納され、まつられた将軍の命日には藩主自らが参拝していました。また、位牌の奉納にあわせて、境内には高さ3メートル弱の大きな石灯籠が建立されました。
明治維新をむかえ、海岸寺は廃寺となりました。その後、本堂は名越村(なごせ、貝塚市名越)の常照寺に、仏像や位牌などは南泉寺(泉南市樽井、江戸時代は海岸寺の末寺)に移されました。南泉寺には境内にあった石灯籠も移されましたが、現存しているものは4基のみです。残りのものは貝塚市津田南町の旧家に1基が残されていることが知られていましたが、近年、市民グループ「海岸寺史料探究同好会」がその行方を探し始めた結果、平成27年に岸和田市本町で新たに1基が発見されました。

貝塚市津田南町に残る石灯籠

貝塚市津田南町の個人宅に残る石灯籠は、3代将軍家光のために建立されたものです。竿(さお)とよばれる最も長い円筒状の柱部分に、下のような文字が刻まれています。その文字によれば、1657年(明暦3年)4月20日、岡部家2代行隆(ゆきたか)が建立したもので、「両基」という表現から、もともとは2基あったことがわかります。「大猷院」(たいゆういん)という称号は、諡号(しごう)という死後におくられる名前で、家光のことを指しています。

津田南町に残る3代将軍家光の石灯籠の写真

奉献石灯籠 両基 大猷院殿 尊前  明暦三丁酉四月廿日    岡部内膳正藤原行隆

平成28年度貝塚市郷土資料展示室特別展 「まぼろしの海岸寺-徳川家歴代将軍をまつる寺-」のお知らせ

市民グループ「海岸寺史料探究同好会」の活動成果を活かし、泉南地域の各地に残るまぼろしの寺院「海岸寺」に関する資料を多数展示しています。

会期 平成29年3月11日(土曜日)~4月23日(日曜日)
会場 貝塚市郷土資料展示室(貝塚市民図書館2階)
開室時間 午前9時30分~午後5時
休室日 毎火曜日、3月20日(月曜日・祝日)、3月31日(金曜日・図書館休館日)
観覧料 無料

現在は名越常照寺に残る海岸寺本堂にあった鬼瓦の写真

もと海岸寺本堂の鬼瓦(名越 常照寺所蔵)

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ファックス:072-433-7053
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