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寄託された吉村家文書(西町)
所蔵者と貝塚市との間で寄託契約を取り交わし、今年7月から吉村家文書を教育委員会で保管することとなりました。吉村家は江戸時代に絞油業・金融業を営む商家で、貝塚寺内町の有力町人として活躍しました。近世・近代を通して家業に関する史料が多数確認されています。また、祝儀帳・葬式帳といった冠婚葬祭にまつわるものも多く見られます。特に、佐野湊浦(現在の泉佐野市湊)の文化人 里井浮丘(さといふきゅう)から3代目当主久米吉(梅泉・梅仙)へ届いた書簡が挙げられます。詩歌・書画等について久米吉は、浮丘を師と仰ぎ、堺をはじめ他の泉州の文化人との交流も明らかとなりました。
また、祝儀等の出銀を日記風にまとめた「諸用記」は文政年間から安政年間にかけての貝塚寺内のできごとを把握することができる史料です。とりわけ安政地震(安政伊賀上野地震から安政南海地震に至るまで)の記述は、江戸時代における地震被害のようすを物語る貴重なものといえます。

速報 上福寺で地蔵堂廃寺の瓦 発見
地蔵堂にある上福寺で、本堂建替え工事に伴って立会調査(平成28年5月16日~18日)を行いました。
上福寺は、平安時代の寺院跡地蔵堂廃寺に近接する位置にあります。発掘調査で塔の基壇を発見した地蔵堂廃寺と推定される正福寺にも近接しています。

今回の調査では、遺構は確認できませんでしたが、磁器、瓦が出土しています。磁器は江戸時代後半のもの、瓦は平安時代末期から江戸時代のものです。出土した瓦はほとんどが平瓦ですが、軒丸瓦1点、軒平瓦(のきひらかわら)2点が含まれています。軒丸瓦は、複弁八葉蓮華文(ふくべんはちようれんげもん)軒丸瓦というものですが、地蔵堂廃寺で出土したものとは違うものです。軒平瓦は、連珠文(れんじゅもん)軒平瓦、均整唐草文(きんせいからくさもん)軒平瓦で地蔵堂廃寺で出土したものと同じものです。
建替えられる本堂は、棟札より天保13年(1842年)の建立であることがわかっており、本堂建立の時の整地により磁器、瓦が混じったものと考えられます。今回の調査で、地蔵堂廃寺の寺域が広がることは確認できませんでしたが、今後もこのような調査の積み重ねによって歴史を明らかしていきたいと考えております。

連珠文軒平瓦

均整唐草文軒平瓦

複弁八葉蓮華文軒丸瓦
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更新日:2020年05月29日