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更新日:2020年05月28日

 今回紹介するのは旧貝塚寺内町方面から水間に至る街道沿いにのこる道しるべです。貝塚からの街道は、大阪府道204号堺阪南線(旧国道26号)の西町交差点で紀州街道から分岐し、海塚や福田、鳥羽など麻生郷(あそごう)とよばれた地域を通って麻生中で熊野街道と一時合流します。その後、清児から水間までの木島谷地域を抜け、水間寺に至ります。
以下、西町から水間までの街道のうち、海塚から麻生中までの間にのこる5基の道しるべを紹介します。
 

海塚の水間街道道標1の写真

1.水間街道道標1(海塚)

現在は貝塚警察署前庭の植え込みに建てられている水間街道を示す道しるべです。上部が破損しており、おそらく「水間」と刻まれた文字が欠けていますが、正面に「寺観音道」という文字がのこっています。側面には「十一月」、「つか 枡屋(ますや)太助」という文字がのこっており、建立年代は不明ですが、ある年の11月に貝塚居住の枡屋太助という人物によって建てられたものであることがわかります。本来の水間街道は警察署前の道路よりもう一本大阪側になることから、もと建てられた水間街道沿いから移動してきたものと思われます。

鳥羽にある水間街道道標2の写真

2.水間街道道標2(鳥羽)

海塚大池の堤にある小堂内にまつられている道しるべで、岸和田、貝塚、それぞれの方向を示したものです。正面に地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)を浮き彫りし、その左右に「右 岸和田道」、「左 貝塚道」という文字が刻まれています。

鳥羽にある水間街道町石1の写真

3.水間街道町石1(鳥羽)

鳥羽の個人住宅の門前に建てられている水間寺までの距離を示した町石(ちょういし)という道しるべです。1丁(=町)は約109メートルで、正面に刻まれた「三十三丁」は約3.6キロメートルになります。側面には「貝 三平」という文字がのこり、貝塚居住の三平という人物によって建てられたものとわかります。

麻生中にある水間街道道標3の写真

4.水間街道道標3(麻生中)

麻生中地車(だんじり)庫前の神社跡地の石祠内にまつられている道しるべで、熊野街道、貝塚、それぞれの方向を示した道しるべです。正面に地蔵菩薩立像を浮き彫りし、その左右に「右大ぐり道」、「左 かいづか」と刻まれています。「大ぐり道」は「小栗道」のことで、熊野街道の別称である小栗街道を意味しています。テンプス第57号の「熊野街道沿いの道しるべ」でも紹介した通り、江戸時代の熊野街道は「小栗道」とよぶのが一般的だったようです。また、台座には、「貝 魚 力」という建立者名と思われる文字が刻まれています。

麻生中にある水間街道町石2の写真

5.水間街道町石2(麻生中)

水間街道沿いの三叉路の一角に建てられている水間寺までの距離を示した町石という道しるべです。正面に刻まれた「廿(にじゅう)七丁」は約2.9キロメートルになります。側面には「貝 丸徳」という文字がのこり、貝塚居住の丸徳という人物によって建てられたものとわかります。

次号以降、「水間街道沿いの道しるべ その2」では、清児から水間まで間にのこる道しるべを紹介する予定です。

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