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更新日:2020年05月28日

古文書をひも解く

本当はできた、江戸時代の土地売買

江戸時代の土地売買は、歴史教科書によると1643年(寛永20年)3月に幕府が出した田畑永代売買禁止令によって禁止された、とするのが通説です。とくに、前年に発生した寛永の大飢饉(かんえいのだいききん)をきっかけに、農民の没落を防ぐために出されたものと解釈されています。しかし、岸和田藩において寛永20年を境に田畑の売買はできなくなったのでしょうか。この点について、地元にのこる古文書から実態を解明していきます。

この田畑永代売買禁止令が出された年、寛永20年12月25日付け「売渡申田地之事(うりわたしもうすでんちのこと)」という表題が付いた証文を見てみましょう【史料1】。「うり主源十郎、請人庄太郎、庄屋孫左衛門」の三人から「ごほう(御坊=貝塚寺内)かたほり(片堀)庄衛門殿」に宛てて出されたもので、福田村にある田んぼを代銀60匁(もんめ)で売り渡したという内容です。読み進めると、5年後以降に売り渡した代銀60匁で買い戻すことができるとあり、「永代(完全に相手のものになる)」という売買のあり方ではありません。

しかし、14年後の1657年(明暦3年)12月晦日付けで、その名も「永代売渡シ申田地之事(えいたいうりわたしもうすでんちのこと)」という表題のある証文がのこされています【史料2】。こちらは、「泉州南郡寺内売主吉郎兵衛、口入きしみ町善べ(善兵衛)、庄屋孫九郎」の三人から「福田村弥兵衛殿、同孫九郎殿」に宛てて出されたもので、福田村・堀村にかけてある複数の田んぼを銀2枚(1枚43匁×2)で売り渡したという内容です。

その後の史料にも田畑の売買は出てきていることから、岸和田藩では土地売買は禁止されず、江戸時代を通してさかんにおこなわれていたと考えられます。こうして地域の古文書の分析が進むことによって、歴史教科書の内容が今後かわるかもしれません。

福原家文書にある売り渡たし申す田地の事の写真

史料1 売渡申田地之事(福原家文書

福原家文書にある永代売り渡たし申す田地の事の写真

史料2 永代売渡シ申田地之事(福原家文書)

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