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更新日:2020年05月28日

半田たゑま道道標の写真

1.たゑま道道標(半田)

現在は街道から離れた半田町会館前に建つ道しるべです。もとは岸和田市本町を起点とする水間街道と熊野街道が合流する地点に建てられていたといわれています。正面に刻まれた「たゑま道」は當麻道(たいまみち)のことで、大阪と奈良を結ぶ竹内街道(たけのうちかいどう)の別称です。竹内街道は、現在の南海高野線堺東駅の南で熊野街道と交差し、そこから奈良県葛城市當麻に向かう街道です。

また側面には「円光大師廿五巡拝」(えんこうだいしにじゅうごじゅんぱい)、「大坂講」(おおさかこう)とあることから、円光大師(浄土宗の開祖である法然)二十五霊場の第九番霊場である當麻寺奥院(たいまでらおくのいん)への道筋を示す目的で、大坂講という講組織によって建てられたものだとわかります。法然ゆかりの霊場巡りをする人びとにとって、熊野街道は竹内街道の延長としてとらえられていたようで、泉南方面や和歌山方面からの参詣者の道しるべとして建てられたものと思われます。

半田小栗街道里程標の写真

2.小栗街道里程標(半田)

大阪府指定文化財(史跡)である熊野街道半田一里塚前の街道沿いに建つ道しるべです。正面には「堺市々ノ町(=市之町)竹ノ内街道分岐」点より「五里」(=約19.6キロメートル)、側面には「大阪高麗橋元標」より「八里十四丁五十九間(けん)」(=約32キロメートル)、「泉南郡北中通村(=現在の泉佐野市鶴原ほか)国道分岐」点より「壱里五丁卅(さんじゅう)八間」(=約4.5キロメートル)と、3か所からこの道しるべまでの距離が刻まれています。1904年(明治37年)3月に大阪府が建てたもので、もとは1の道しるべとともに水間街道との合流地点に建てられていましたが、昭和50年代に現在地に移されたといいます。
 

麻生中熊野街道道標1の写真

3.熊野街道道標1 (麻生中)

街道沿いの小堂内にお地蔵さんとしてまつられている道しるべで、橋本道(熊野街道)、水間街道、それぞれの方向を示したものです。1844年(天保15年)2月に造られたもので、正面上部に弘法大師(空海)と思われる座像を浮き彫りし、その下部には「右 はし本道/左 みづま道」と刻まれています。「はし本道」は橋本道で、すなわち熊野街道のことを指します。弘法大師が彫られていることから、弘法大師をまつる清水大師というお堂のある橋本村(現在の貝塚市橋本)へ至る道という意味でこのような表現をしているのでしょう。清水大師は現在も橋本にあり、江戸時代から近代にかけては大師信仰の地として参詣者でにぎわったことが知られています。

 

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