現在の位置

8ページ

更新日:2020年05月28日

市内の古文書調査から

川口家文書(沢)

平成26年11月より依頼を受けて古文書調査に着手しました。全体で133点の古文書のうち近世史料が4割・近現代史料が6割を占めています。代々伊右衛門を名乗る当家では、土地売買をめぐる証文が数多くのこされ、江戸時代後期に土地集積を進めていった様子が明らかになっています。また、戸長役場(こちょうやくば)時代、1882年(明治15年)頃の沢村出納方に関する史料が確認されていることから、当時出納方として村の重職にあったことがわかります。家業である農業では生姜栽培にたずさわっていたことが確認できます。そのほか日露戦争中に出征した沢在住の知人が戦地から送ってきた手紙が数通のこされています。これらの中から、特に沢地区で活発だった生姜栽培について紹介します。

ここ数年の間に沢地区の古文書調査が進むなか、生姜栽培が泉南地域で江戸時代後期から活発におこなわれ、その中でも沢地区は群を抜く13町歩余(約13ヘクタール、甲子園球場3.4個分に相当)の広い作付面積を持っていた(1865年(慶応元年)調べ)ことが明らかになりました。水はけのよい沢地区の土地が生姜栽培に適しており、岸和田藩では生姜の高い商品価値に目をつけ、生姜作取締方(しょうがづくりとりしまりかた)と呼ばれる役人を置き、冥加銀(みょうがぎん)という税をかけて一元的に管理していたこともわかってきました。

川口家文書からは、その後の明治時代のようすが伝わってきます。1887年~1907年頃(明治20年代から明治40年頃)、大阪で「砂糖漬製造」「生姜卸商」「金米糖(こんぺいとう)掛物類卸」を営む一族の川口伊之じょう氏が生姜販売を手広くおこなうなか、沢地区から大阪へ生姜を送るよう催促する手紙が多数のこされており、当時さかんだった南海鉄道の貨物輸送とともに、活発な生姜取引のようすが伝わってきます。

川口伊之丞氏から本家に宛てて出された手紙の写真(1枚目)

川口伊之丞氏から本家に宛てて出された手紙(明治39年1月18日付)

川口伊之丞氏から本家に宛てて出された手紙の写真(2枚目)

古生姜が品切れになったため、100貫目(約373.6キログラム)を程を地元で購入し、明日の汽車で大阪へ送ってほしいと依頼する内容

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ