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更新日:2015年03月27日

市内の古文書調査から

八品神社を写した絵葉書

◆沢町会共有文書・八品(やしな)神社八人衆共有文書

平成25年12月より、沢町会の依頼を受けて、古文書調査に着手しました。合わせて734点を数える古文書は、1.農業に関すること、2.地車(だんじり)に関すること、3.沢・脇浜との浜地争論に関すること、4.八品神社に関すること、に大きく分けられます。

<1.農業に関すること>
江戸時代に沢村を含む近木庄(こぎのしょう)と呼ばれた地域では、主に米作りが行われていましたが、綿作も盛んでした。米よりも収益の上がる木綿は田んぼでも栽培されるほどでした。また、現在では沖縄をはじめ暖かい地域で作られているイメージのある甘蔗(さとうきび)の栽培も行われていました。さらに、生姜(しょうが)栽培も飛びぬけており、価値の高い商品作物として、岸和田藩が生産を一元管理するため生姜作取締方(しょうがづくりとりしまりかた)を設置し、冥加銀(みょうがぎん)を賦課するほどでした。

<2.地車に関すること>
かつては沢・浦田共同で行われていた地車についての記録は、1914年(大正3年)に遡り、1956年(昭和31年)までのこされています。会計に関するもののほか曳行許可申請書類も見られます。

<3.沢・脇浜との浜地争論に関すること>
江戸時代に岸和田藩から脇浜・鶴原は漁業権を持つ「浦」として位置づけされていましたが、その両者に挟まれた沢は「浦」としての権利が藩から認められていませんでした。これを根拠に浜地の権利を主張する脇浜と、生姜栽培に必要な土砂の採取をこれまでもずっとおこなってきたとする沢との対立が1924年(大正13年)頃争論に発展したようです。当時、沢は南近義村、脇浜は北近義村に分かれていたことが対立に拍車をかけたのかも知れません。最終の判決文がのこっておらず、結果については明らかとはなっていません。

<4.八品神社に関すること>
櫛の神様として多くの信仰を集めてきた八品神社は、江戸時代には神社を維持させるための田地を持っていました。また、1889年(明治22年)大規模な改修をおこなった際には、全国の櫛に関わる職人や問屋・仲間らから寄付が集められ、拝殿・鳥居・灯籠・狛犬(こまいぬ)・手水鉢(ちょうずばち)などが整備された記録がのこされています。
さらに、昨年7月には、「和泉国日根郡沢村切図」や印判11点の追加調査も行いました。町会では沢の基礎的な地図となる切図の修復および複製化を進めるなど、地元の歴史を後世に伝える古文書の保存に力を注いでいます。

これら今回調査で明らかになった地域の歴史について、今年2月1日に沢町会・浦田町会の主催による「第15回さわやかコミュニティ」において、担当者が地元の皆さんに調査成果を報告しました。社会教育課では、今後も引き続き歴史的な古文書の保存・活用に積極的に取り組んでいきます。 

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