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更新日:2014年10月14日

企画展「名所図会と社寺境内図」より 明治時代の水間寺境内図 

明治時代の水間寺境内図

江戸時代後半から明治・大正時代にかけて、全国各地の神社仏閣で一枚刷りの境内図が数多く出版されました。今回は、1902年(明治35年)に出版された水間寺の境内図「厄除観世音菩薩泉州龍谷山水間寺全図」(上写真、NPO法人摂河泉地域資源研究所所蔵)を紹介します。

この境内図は、水間寺周辺を鳥瞰図(ちょうかんず)風に描いたものです。「本堂」や「三重塔」が建つ境内地を中心に、本堂背後には「観音山」(現在の市立水間公園)を描きます。境内と「観音山」には諸堂が建ちならび、現在とほぼ同じ景観を呈していますが、「厄除橋」を渡ったところに建つ「茶所」の隣には、現存しない「芝居小屋」が描かれています。

また画面手前には、1897年(明治30年)に設置された南海鉄道の貝塚駅「貝塚停車場」と参詣道である「水間街道」が描かれています。「貝塚停車場」前と「水間街道」には数台の人力車が描かれ、当時の交通手段が徒歩と人力車であったこともわかります。さらに画面左には雲が描かれ、そこには水間寺の沿革や年中行事、貝塚駅等からの道のりが記載され、旅行案内的な要素も見てとれます。

こうした境内図は、神社仏閣や門前の商家などで頒布され、当時の旅行者がみやげ物として郷里へ持ち帰り、全国へ流通したのでした。

注意:この絵図を含め、『和泉名所図会』や一枚刷りの社寺境内図を紹介した企画展「名所図会と社寺境内図」は、平成26年10月19日(日曜日)まで、貝塚市郷土資料展示室(貝塚市民図書館2階)にて開催しています。

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