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20.王裒(おうほう)/蔡順(さいじゅん)
【王裒】王裒は栄陰というところに住んでいた人でした。父親は、思いがけないことで皇帝により処刑されました。彼は父の死を恨んで、一生皇帝のいる方角には向かないで座りました。また父の墓所では、ひざまずき礼拝して、植えてある柏の木に取りついて泣き悲しんだため、涙がかかって木が枯れてしまうほどでした。また、母親はいつも雷を怖れる人でした。彫刻は、母の死後も雷が鳴ると急いで墓所へ行き、「自分はここにいます」と、亡くなった母に力添えしていた、という場面です。このように両親が亡くなったあとまで孝行をするのだから、彼の生前の孝行は計り知れないであろうということです。
【蔡順】蔡順は汝南(じょなん)というところに住んでいた人でした。新の王莽(おうもう)という人の時代の終わりに天下は大いに乱れ、また飢饉がおこりました。食べ物が乏しかったので、母のために桑の実を拾いに行きましたが、熟したものとまだ熟していないものを分けていたところ、盗賊たちがやって来ました。彫刻は、盗賊たちが「なぜ桑の実を黒と赤に拾い分けているのか」と尋ねたところ、「一人の母がいますが、この熟したものは母に与え、まだ熟していないものは自分が食べようと思っているのです」と答えた、という場面です。盗賊たちは彼の孝行を感じて、米と牛の足を与えて立ち去りました。孝行のしるしか、その米と牛の足はしばらく無くなることはなかったということです。
注意:二十四孝の各説話については、日本古典文学大系38『御伽草子』(市古貞次校注、1958年)掲載の「二十四孝」の内容をもとにしています。
撮影:公益財団法人文化財建造物保存技術協会
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更新日:2013年11月07日