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更新日:2013年11月07日

朱寿昌(しゅじゅしょう)

15.朱寿昌(しゅじゅしょう)

朱寿昌は、7歳の時に、父親と母親が別れました。そのため、母のことをよく覚えておらず、このことを嘆いていましたが、ついに会わないまま50年が過ぎました。ある時、役人であるにもかかわらず、官位や俸禄、妻子までも捨てて、秦というところへ尋ねていきました。彫刻は、「母に会わせたまえ」と言って、みずから血を流してお経を書き、天へ祈りをかけて尋ねたところ、その志の深さから、ついに母に会うことができた、という場面です。
 

閔子騫(びんしけん)

16.閔子騫(びんしけん)

閔子騫は、幼い時に母親をなくしました。父親はまた妻をめとって、2人の子ができました。義母はわが子を深く愛して、義理の息子を憎み、寒い冬でも蘆(あし)の穂を入れた薄い着物を着せるので、身体も冷えて耐えかねているのを見た父は後妻と離縁しようとしました。彫刻は、閔子騫が「お母さんが去ってしまえば、私たち3人は寒い思いをするでしょう。今、私一人がこらえれば、弟2人は暖かく過ごせるでしょう」と言って、父をいさめた、という場面です。この言葉に心を動かされ、義母もそれ以後は分け隔てなく愛するようになり、もとの母と同じようになったといいます。
 

董永(とうえい)

17.董永(とうえい)

董永は、幼い時に母親と離れ、家は貧しく、いつも人に雇われて、農作をして賃金をもらい日々を暮らしていました。父親は足が悪かったため、董永は小さな車を作って父を乗せ、田んぼの畔に置いて養っていました。ある時父が亡くなり、葬式を用意したいと思いましたが、貧しいので叶いませんでした。そのため、銭で自分の身体を売り、葬式を営みました。そして、銭主のもとへ行こうとしたところ、道中で一人の美女に出逢いました。その女性は「あなたの妻になります」と言って同行し、ひと月に上質の絹を織って返したので、銭主もこの女性の心を感じて董永を許しました。彫刻は、その後、妻が董永に向かって「私は天上の織姫ですが、天があなたの孝行な心を感じて、私を地上に下ろして借金を返済させたのです」と言って、天上へ帰っていった、という場面です。

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