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7.田眞(でんしん)、田廣(でんこう)、田慶(でんけい)
この三人は兄弟です。両親が亡くなったあと、親の財産を三等分しましたが、庭先に紫荊樹(しけいじゅ)という枝葉が生い茂り、花も咲き乱れる一本の木がありました。彫刻は、この木をも三等分しようと夜通し三人で話し合っている場面です。木を切ろうと根元に行くと、昨日まで栄えていた木が急に枯れたのを見て、田眞は「草木にも心があって、三等分に切ろうというのを聞いて枯れたのだ。人として、この木の心をわきまえなければならない」と言って、結局切らずにおくと、木はまた元通りに見事に茂ったといいます。

8.庾黔婁(ゆきんろう)
庾黔婁は、南斉時代(472年~502年)の人で、孱陵県(せんりょうけん)という土地の役人になりました。着任して十日も経たないうちに胸騒ぎがしてならないため、父親が病気かと思い、職を捨てて家に帰ったところ、思った通り大病をわずらっていました。医師に病状を尋ねると、「病人の便をなめて、甘いか苦いかわかればよかろう」と言うので、簡単なことだと言ってなめてみると、苦かったので、その死が近いことを悟りました。彫刻は、北斗七星(あるいは北極星)に父の身代わりになることを祈り続けた、という場面です。

9.王祥(おうしょう)
王祥は幼い時に母を亡くしました。父はまた妻をめとり、その継母は父子の仲を悪くしようとして、父に子を憎ませましたが、それを恨みにも思わず、継母にもよく孝行するほどの人物でした。ある冬の厳寒のおり、継母が生魚を食べたいと言うので、肇府(じょうふ)というところの河へ行きましたが、氷がはって魚は見えませんでした。彫刻は、衣服を脱いで裸になり、氷に上に横たわって魚がいない事を悲しんでいたところ、氷が少しとけて、魚が二匹おどり出てきた、という場面です。早速これを獲って帰り、母親に与えました。この孝行のためか、彼が横たわったところには、毎年人が横たわったような形が出たといいます。
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更新日:2013年11月07日