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更新日:2013年12月06日

貝塚市の特産品“つげ櫛”

市制70周年事業の一環として貝塚市の新しいイメージキャラクターとなったゆるキャラ“つげさん”は、生産シェア全国第1位をほこる貝塚市の特産品“つげ櫛”をモチーフにしています。貝塚市域でのつげ櫛の生産は、平安時代中期11世紀ごろに書かれた『新猿楽記』(しんさるごうき)という書物に「和泉櫛」として登場するほど歴史の古いものです。今回のテンプスでは、つげさんゆかりのつげ櫛に関する伝説や歴史について紹介します。

 

“つげ櫛”の由来

つげ櫛の由来については諸説ありますが、貝塚市沢にある櫛の神さま「八品神社」(左下写真は昭和初期の神社本殿、右下写真は同時期の神社全景)の創建とかかわって次のような2つの話があります。
欽明(きんめい)天皇(539年~571年)の時代、泉州近木(こぎ)の里、沢の海岸に一人の異人が立っていました。人びとは「何びとだろう」とこの異人を取り囲んだところ、異人は左右の手に四つずつ、八つの刀器を握っていました。やがて沢の地で生活を始めた異人は、ある日持っていた八つの刀器を取り出して、木片を削って平たい板を作り、さらにこれに歯を立て、溝をつけて、見たこともない器物を作り、みずからの髪の毛をといて、たいそう愉快気にほほえみました。こうして、人びとは異人から髪をとくために使う木櫛の造り方を教わりました。この噂は都にも聞こえることとなり、沢の地は木櫛造りの地として朝廷から認められました。木櫛造りを伝えた異人はのちに神として崇(あが)められ、左右の手に四品ずつ八品を持っていたことから、八品明神として祀られることになりました。

昭和初期の神社本殿
昭和初期の神社全景

もう一つの話は以下のようなものです。

欽明天皇の時代、御殿(ごてん)の柱の虫喰いが不思議な八品の形をあらわし、これを陰陽(おんみょう)博士に占わせたところ、「これは櫛というものを作る道具です。絵図に写し取り御殿の破風(はふ)にかけておいたならば、三日のうちに不思議なことがおこるでしょう。この絵図の飛んでいったところを「櫛作所」または「八品明神」としておまつりしてください。」と言いました。そして、天皇が勅書(ちょくしょ)をそえて絵図を破風にかけたところ、怪しい鳥が飛んできてこの絵図をくわえ、沢村から少し西にはなれたところへ落としました。その場所に光がさしたため村人たちが集まってみると、絵図には櫛の作り方がくわしく書きつけてありました。それ以来、沢村では櫛作りがはじまり、しだいに周辺の村々にも広まっていきました。

またこのほか、二色の浜の海岸をさまよう八種類の櫛を髪にさした女性の話などが地元に語り継がれており、八品神社とつげ櫛の由来として現在に伝えられています。

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