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更新日:2020年05月28日

御順見道案内絵図(貝塚市域周辺)の写真

貝塚市域 注意:貝塚市域の色を濃くしています


とくに現在の貝塚市域に限って見てみると、本堂・三重塔・食堂(じきどう)が鮮明な水間寺や、本堂・長屋門・石垣の見られる海岸寺は境内林とともに、細かく描写されています。海岸寺は徳川将軍家の位牌を安置するために明暦3年(1657年)岸和田藩主岡部宣勝(のぶかつ)の命令で半田海岸寺山に建立された寺院で、巡見の際の立ち寄り先になっています。

紀州街道沿いの沢村・鶴原村(現在の泉佐野市鶴原)の間に描かれた松の木は、一里塚を指しており、大きな街道には一里(約4キロメートル)毎に設けられて、距離を知る目安となっていました。同様に熊野街道沿いの半田村と中村の間に描かれたものは、山側のみが現存する「熊野街道半田一里塚」にあたります。「御国御巡見」の宿泊所が「寺内貝塚」(=貝塚卜半寺内)に置かれ、「松波弥兵へ御本陣」「守口や七郎右衛門」「紀国や政吉」の三軒が当てられています。

幕府巡見使がやって来る際には、その対応に万全を期していたことが、ここに紹介する絵図をはじめ、さまざまな史料から確認できます。巡見使に質問されれば、即座に答えるための手控えなどをはじめ、巡見使の通行する道は念入りに掃除をし、壊れているところは修理をするようにと、藩からのお達しも出されるほどでした。

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